三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

裴茂(はいぼう) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは裴茂と言う人物じゃな。字は不明、生没年も不明じゃ。

またモブキャラか、と思った方もいるかもしれんが、どうしてどうして、実は結構な重要人物なんじゃ。

 

どうも、くまの爺じゃよ。さて、今回紹介する人物は裴茂じゃな。

どうも、張郃だ。ふむ、裴茂殿か、裴潜殿の父だな 

うーん、どちらもあまり聞き覚えがないのですが、そんなに重要な人物なのでしょうか。 

そうじゃな、そして彼自身、記録は少ないながらも歴史の転換期に顔をのぞかせる、何気に重要な人物なんじゃよ。 

そうだな、彼のことは覚えておいて損はないぞ 

張郃さんがそこまで言うなんて・・・分かりました、早速紹介をお願いします。

人物紹介

裴茂の一族

さて、裴茂については本人も結構重要なことをやっているが、彼の一族も重要なんじゃ。彼の息子は裴潜と言い、立伝もされておる人物なんじゃ。

そしてそれだけでなく、裴潜には裴徽と言う弟がおり、彼もまた名臣だったが、彼から6代下ったところに、三国志にとって非常に重要な人物が現れるんじゃ。

勘の良い人なら気が付いているじゃろうが、その人物が裴松之、ご存じ三国志に多数の注釈を付けた人物じゃな。

彼がいなければ、今の三国志人気はなかったであろうな。そう言う意味では陳寿羅貫中と並び、良い悪いはともかく、三国志にとって非常に大きな影響を及ぼした人物と言えるだろうな 

 

裴茂自身も優秀な人物だから面白い話じゃな。さて続けて裴茂自身の実績を見ていくとしようかの。

裴茂の実績

さて、裴茂じゃが、彼の記録は魏志『裴潜伝』にあるんじゃ。裴松之の注釈である『魏略』によると、裴茂、裴潜の家は代々の名家であったと言う。

父の裴茂は霊帝の時代に出仕し、県令・郡守・尚書を歴任した名臣だったんじゃな。そして建安の初めに謁者僕射であった裴茂は天子の使者として、関中諸軍を統率して李傕を討伐すると言う大功を挙げるんじゃ。

 

呂布ですら李傕、郭汜達には敗れ、反董卓連合軍でも彼等とまともに戦えたものはいなかった。当時の李傕は落ち目だったとはいえ、関中諸軍を統率してあっさり打ち破ると言うのは並の力量ではないな 

確かに見事な統率力と言えそうじゃな。

この実績により、彼は列侯に取り立てられた、と言う話じゃな。

ちなみに息子の裴潜との関係じゃが、若い頃の裴潜は礼法を気に欠けない人物だったらしく、父からはぞんざいな扱いを受けたという。よく言えば厳格、まあ堅物だった、と言う感じかのう。

さて、裴茂は記述が少ないながら、もう一つ重要な役割を担っておったんじゃ。

武帝紀』によると、214年3月、献帝は魏公の位を緒候王の上に置き、改めて金璽、赤紱(せきふつ、璽につける赤のひも)・遠遊冠を授けた、とあるんじゃが、『献帝起居注』によると、この時の使者として楊宣と裴茂が命じられたんじゃよ。

さて、これで裴茂の記録はここまでで終わりじゃ。霊帝時代からと考えると40年以上、後漢の中枢にて重要な役割を担っておった、隠れた名臣、と言うべきじゃな。

さて、人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回は全作品に出ておるようじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 裴茂(20歳)  80 120 70 85
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓↓ ↓↓ ↓↓
 裴茂(45歳)  112 156 101 117

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裴茂はやはり何と言っても関中諸軍を統率し、李傕を討ち取った点じゃろうな。普通に強力な群雄の一人を打ち破る力量は並ではないぞい。

そして、県令・太守・尚書と重要な役職も歴任していることから政治も高めじゃな。総じて弱点の少ないオールラウンダーと言った感じじゃな。

 

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雑談ぢゃ

さて、裴茂についての能力評価じゃ。

ふむ、他の作品に出ていないのは残念な話だ。非常に優れた人物だったのだがな。

張郃さんはお会いしたことはあるのですか? 

許都を訪れた時に何度か、な。直接声を交わしたことはないが、厳格な立居振舞は記憶に残っているぞ。 

うむ、いつかは他の作品でも見てみたいのう。さて、今回はそんなとこじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。

その時は高い評価であることを祈るとしよう。よし、それでは次もよろしく頼むぞ。

張郃さん、お疲れ様です。次もよろしくお願いします。それと他の人物は以下の人名索引を参照してくださいね。