さて、今回紹介するのは大洪じゃな。彼の字や生没年は不明じゃな。
彼も黄巾賊の頭領の一人のようじゃな。
どうも、くまの爺じゃよ。さて、今回紹介する人物は大洪じゃな。
どうも、張郃だ。今回もまた黄巾賊の頭領だな、大洪のことは良く知らんな。
彼のことは張郃さんは知らないのですね。
黄巾賊は冀州の黒山賊の辺りから、司隷の辺りの白波賊までと広範囲にわたって勢力を張っていたからな。更に青州黄巾賊等のように青州から徐州、兗州の辺りまで暴れまわった連中もいたからな。
冀州での行動が見えてこないことから、幷州から司隷辺りにかけて活動しておった可能性があるかのう。それでは早速見ていくとしようかの。
はい、よろしくお願いします。
人物紹介
さて、大洪じゃが、彼も他の黄巾賊の頭領同様、記述はわずかじゃな。
魏志『張燕伝』の注釈、『九州春秋』に、184年に張角が反乱を起こした時に、共に兵を挙げた人物の紹介があって、その中に大洪の名前もあったんじゃな。
また『典略』で、彼らは勝手に字をつけていたのは他の人物でも話していた通りじゃが、大洪はもう少し意味がはっきりしないのう。
ふむ、「洪」には「おおみず」と言う意味以外にも「優れた」と言う意味もあるから、優れた大人物、と言う意味でつけた名前かもしれないな。
じゃが彼もそれ以降の記録がないのう。
やはりきちんと訓練されていない兵では、ある程度限界があると言うことであろう。まさか国家転覆のための軍を、大っぴらに訓練することも難しいであろうからな。
さて、大洪の出番はここまでじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回はワシの評価のみじゃな。
能力評価
大洪は黄巾賊と共に立った、と言うこと以外の記述がほとんどないので、全体的に抑え目の評価なんじゃ。司隷同様、やや軍事の高い黄巾賊の有力首領の一人、と言う感じじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、大洪の能力評価じゃな。
先日の司隷と大体同じぐらいの評価と言う訳だな。
そうじゃな、軍事のやや高い黄巾賊頭領の評価、と言う感じじゃな。
記録が少ない人物が多いから、なかなか評価が難しいですね。
まあ、将の能力や兵の練度より、数で勝負と言うところじゃからな。
張燕殿のように、後に魏で将の一人として活躍する方が稀であるな。
そう言えば豫州方面でも、曹操さんに降伏した黄巾武将はいたと思いますが、その後の活躍はあまり聞かないですね。
何儀とかだな。確かに彼らは魏国の中でも、その後特に存在感を発揮した訳ではなかったからな。
うむ、張燕のように、立伝までされるにはやはり本人の才能も必要じゃったろうな。さて、今回はここまでじゃな、次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとしよう。次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れ様です。次もよろしくお願いしますね。それと他の人物を見たいときは以下の人名索引を参照してくださいね。