三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

胡才(こさい) 字:不明(?~?)

さて、今回は紹介するのは胡才じゃな。字や生没年は不明じゃ。

彼もまた白波賊の元頭領として歴史に名を残した人物じゃ。じゃが韓暹や楊奉程の知名度はないようじゃな。

  

さて、今回紹介する人物は胡才じゃ。

彼もまた白波賊の頭領だったのですか?

そうじゃな、基本的な事績は韓暹を追っていくと良いので昨日よりは楽できるかのう。 

ふむ、まあ記述を1から10まで全て手で入力するのは大変だからな。とは言え、手を抜き過ぎぬようにな、昨日も記述間違いがあったであろう。 

う、いやいや、あそこは既に入力しておったと思って見落としてしまったんじゃ。

師匠は変なとこは細かいくせに、結構がさつなんですよね。

細やかな仕事のできんやつだな、まあ良い、とっとと人物紹介に行こうではないか。 

う、うむ、それでは胡才の紹介と行こうかの。

人物紹介

胡才は丁度董卓死後、李傕と郭汜が長安を占拠しておった頃に名前が出てくるんじゃ。丁度この頃李傕達は反目し合い、彼らの配下であった楊奉は軍官の宋果と共に李傕も暗殺を計画したが事が漏れたので反旗を翻したんじゃ。

これにより李傕は勢力を弱め、張済により郭汜と和解することとなったんじゃ。丁度この時期に献帝長安から脱出に成功するんじゃが、李傕と郭汜は天子を出発させたことを後悔し、弘農郡の曹陽県にて天子に追い迫ったんじゃ。

ここで楊奉が呼び寄せたのが元白波賊の韓暹達で、胡才もこの時呼ばれたんじゃ。

じゃが、この時彼らは勝てず、敗れ去ったようじゃな・・・。

その後体勢を立て直しした韓暹等は献帝を連れて安邑に移し、牛車にお乗せした、とあるんじゃよ。

この時胡才は征西将軍に任じられたんじゃよ。

さて、何とか体裁を整えることに成功した献帝一行じゃが、苦難はまだまだ続くんじゃ。

この時期蝗害が発生し、また旱魃も起こり食物の収穫もなくなると言うダブルパンチで上下は混乱し、食料も尽き果てるというありさまだったんじゃ。

胡才は韓暹等と相談し、献帝を洛陽に戻すことにしたんじゃよ。道中、張楊が食料を携えて出迎えたのでやっと落ち着いたんじゃよ。

軍が食料を維持するのは大変じゃからのう。張楊がいなければ彼らはまた元の賊に戻るしかなかったかもしれんのじゃよ。  

その後、曹操が上洛すると、韓暹と楊奉王法に従うことができず、それぞれ出奔して徐州・揚州辺りを荒らしまわるんじゃが、どうも胡才と李学は彼等とたもとを分かち、河東に残ったようなんじゃ。

じゃが、胡才は彼の仇敵に殺害されてしまったんじゃよ。何とも残念な最後じゃ。

 

何ともあっけない話じゃのう。これで胡才の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回はワシだけじゃな。  

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 胡才(20歳)  75 50 45 35
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 胡才(45歳)  106 79 73 62

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胡才も典型的な賊の首領と言った感じで、軍事が高めの評価じゃ。ただ、韓暹等とたもとを分かったのは良い判断じゃった、と思い、知謀と政治は少し高めとしたんじゃよ。

 

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雑談ぢゃ

さて、胡才の能力評価じゃな。

ふむ、胡才も一般的な黄巾賊の首領と大差はないのだな。上で書いておるように少し政治と知謀が高めなのだな。  

胡才達は何故韓暹等と別行動をしたのでしょうか。

彼らの方が人格的にはまだ多少マシな部分があった、とかかもしれんのう。

胡姓だけに、もしかしたら異民族の地を引いた人物かもしれんのう。胡と言う連中とかも中華にいたはずだからな。 

胡族と言うのはどのあたりの地方の人達なんでしょうか。

今で言うとイラン(ペルシア)系の人達じゃな。結構見た目に特徴があったじゃろうな。さて、胡才の紹介はここまでじゃな。面白かったならば次もまたご覧くだされ。

よし、それでは俺も戻るかな、次もまたよろしく頼むぞ。  

良ければ次もご覧ください。それと他の方で興味ある方がいらっしゃったら、下の索引をご覧くださいね。