さて、今回は紹介するのは李楽じゃな。字や生没年は不明じゃ。
彼もまた白波賊の元頭領として歴史に名を残した人物じゃ。じゃが彼も胡才同様、韓暹や楊奉程の知名度はないようじゃな。
さて、今回紹介する人物は李楽じゃ。
彼は胡才同様、少し影が薄いタイプの人物だったのですか。
そうじゃな、基本的な胡才と同じように追いかけていくことができるじゃろうな。
どうも、張郃だ、ふむ、確かに楊奉等程は名が通ってはおらんかったかな。
うむ、それでは早速行こうかのう。
よろしくお願いします。
人物紹介
李楽は丁度董卓死後、李傕と郭汜が長安を占拠しておった頃に名前が出てくるんじゃ。丁度この頃李傕達は反目し合い、彼らの配下であった楊奉は軍官の宋果と共に李傕も暗殺を計画したが事が漏れたので反旗を翻したんじゃ。
これにより李傕は勢力を弱め、張済により郭汜と和解することとなったんじゃ。丁度この時期に献帝は長安から脱出に成功するんじゃが、李傕と郭汜は天子を出発させたことを後悔し、弘農郡の曹陽県にて天子に追い迫ったんじゃ。
ここで楊奉が呼び寄せたのが元白波賊の韓暹達で、李楽は韓暹・胡才と共にこの時一緒に呼ばれたんじゃ。
じゃが、この時彼らは勝てず、敗れ去ったようじゃな・・・。
その後体勢を立て直しした韓暹等は献帝を連れて安邑に移し、牛車にお乗せした、とあるんじゃよ。
この時李楽は征北将軍に任じられたんじゃよ。
さて、何とか体裁を整えることに成功した献帝一行じゃが、苦難はまだまだ続くんじゃ。
この時期蝗害と旱魃により、食料も尽き果てるというありさまだったんじゃ。
李楽、胡才は韓暹や楊奉、董承等と相談し、献帝を洛陽に戻すことにしたんじゃよ。道中、張楊が食料を携えて出迎えたのでやっと落ち着いたんじゃよ。
その後、曹操が上洛すると、韓暹と楊奉は王法に従うことができず、それぞれ出奔して徐州・揚州辺りを荒らしまわるんじゃが、どうも胡才と李学は彼等とたもとを分かち、河東に残ったようなんじゃ。
そして李楽は病気で亡くなった、と言うんじゃよ。他の三人が悲惨な最期を迎えたことを考えると、畳の上で亡くなった彼はまだマシであった・・・といえるかのう。
さて、これで李楽の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回はワシだけじゃな。
能力評価
李楽は胡才と行動を共にしておった楊なので、評価も似たようなものとなったんじゃ。韓暹等とたもとを分かったのは良い判断じゃった、と思い、知謀と政治は韓暹等よりは少し高めの評価としたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、李楽の能力評価じゃな。
ふむ、李楽も胡才同様に他の黄巾賊の首領と大差はないのだな。上で書いておるように少し政治と知謀が高めなのだな。
それにしても胡才はいなかったのに、何故李楽は出ているのでしょうかね。
天舞さんは胡才も出ておらんかったから予想できたが、コーエーテクモさんと鄭問さんの選考基準は少し分からんのう。片方だけ演義に出ておった、とかじゃろうか?
胡姓にあまり有名な武将がいなかった、とかがあるかもしれないな。
胡姓で凄い優秀な人物って、確かにあまり聞かないですね。
まあしかしどれも決め手にはならんのう。さて、これで白波賊の紹介も終わりじゃ。一度情報をまとめるかな。よければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も戻るかな、次もまたよろしく頼むぞ。
良ければ次もご覧ください。それと他の方で興味ある方がいらっしゃったら、下の索引をご覧くださいね。