三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

勢力図(河東まで)

さて、本来は司州が終わるまでやってから、なんじゃが、次からは例の巨大勢力の紹介で、司州と雍州にまたがる勢力となるので、一旦ここできったんじゃよ。

  

勢力図

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勢力図(幽~司州、河東まで)



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雑談ぢゃ

さて、今回は司州の河東までの勢力関係じゃな。

一番左下のエリアはまだ紹介していないところですね。

地図の場所から董卓軍の最前線の地域だと言うことだろうな。一部はまだ前線で睨み合った状態だからな。

正解ですじゃ。多分今までで一番の勢力になるのは間違いないじゃろうな。

ゲームとかですと、領土と兵士は多いですが、一部武将を除けば武将の質はそこまででもない、と言う印象ですが・・・。

いや、質も高いぞい。実際すでに名前が出てきておる一部の武将は実績を残しておるのがはっきりしているからのう。

そう言えば白波賊も含めて、幷州から黄巾賊が勢力を広げているっていうのは普通に強脅威だな。

冀州張燕勢力と結びつくと、それこそ武将の質はともかく、侮れない勢力になりますね

逆に張楊や楊原は彼らがこれ以上勢力伸ばさないように分断工作をかけていかないといかんじゃろうな。

確かに、味方は集中し、敵は分断させると言うのは基本中の基本だからな。 

うむ、前回でも言っておるが、戦力を集中させれば序盤なら多少の能力差は何とでもなるからのう。この場合重要なのはスピードじゃな。

そう言えば上尊号碑のことを何度か書いているであろう。あれに署名しておる臣下で、29番目に臣陟とあるだろう、あれは確か・・・張陟殿のことではないかな。 

!?なるほど、そうなると220年頃、張陟殿は中護軍であった、と言うことですな。事実だとすれば面白い話になりそうじゃの。

元々州刺史だった訳で、しかも実績を挙げているのですから、最終的に中護軍にまで至った、と言うのは不自然ではありませんね。

そう考えると思ったよりも大物であった可能性もあるんじゃの。

まあ、今の世でそれを実証する術はないからな。まあ古い記憶を頼りの戯言だ。その程度に思ってくれれば良い。 

しかし、華北は巨大勢力が少なく、いずれも一州の中に複数の勢力が乱立しておる。まさに戦国の世、じゃな。さて、勢力紹介はここまでじゃ。それと夏休みに突入するので、しばらく更新はとまるぞい。

よし、それでは俺も帰るとするか。次は一週間後だな、俺も中華の様子でも見てくるか。こっちは暑いしな。 

張郃さんも師匠もお疲れさまでした。ゆっくり英気を養ってきてくださいね。次もまたよろしくお願いします。