さて、今回紹介するのは李利と言う人物じゃ。字や生没年は不明じゃ。もっとも没年は197年以前であることは確実じゃろうがの。彼も李傕一族の一人なんじゃ。
さて、今回紹介する人物は李利じゃな。
彼も李傕の一族なんですか。確かに親族が多いですね。
そうじゃな、彼も李傕の兄の子と言うことで史書には名前が出てきておるんじゃ。
張郃だ。李暹との関係が書かれていないようだが、李暹とはまた別の兄の子、と言うことになるのかな。
李傕の兄は複数いたと思われるし、李暹との関係が一切書かれていないことから、その可能性が高そうじゃな。
彼らの力があったからこそ、李傕は仲間内でも一つ抜き出ることができた、のでしょうか。
そうじゃな。詳細を見ていくとやはり同族の力は大きかったと言えるじゃろうな。それが真に良かったと言えるかは別にしての、それでは早速見ていくとしようかの。
はい、よろしくお願いします。
人物紹介
さて、李傕の兄の子である、李利の出番じゃが、彼もそれほど多くは語られていないんじゃよ。
『董卓伝』の注釈、『九州春秋』によると、馬騰と韓遂を樊稠が撃退した時に李利の名前が出てくるんじゃ。
樊稠は彼らを陳倉まで追撃したんじゃが、この時韓遂は樊稠に次のように言ったんじゃ。
「天下はひっくり返り、先行きどうなるかわからない。抗争の原因は元々私怨にはなく、国家の大事なのだ。足下と私は同郷人、今は些細な食い違いはあるが、きっと大きい立場では同一だろう。
いっしょに仲良く語り合ったうえで、別れよう。万一思い通りに出会えなかったらのちのち二度と顔を合わせられるかどうか。」
そして二人はともに供回りの騎兵を遠ざけて進みより、くつわを並べて互いのかいなを握り合い握り合ってしばらく語り合ってから別れた、とあるんじゃ。
この時、李利は樊稠に随行してきていたが、帰還してから李傕に、韓遂と樊稠がくつわを並べて語り合い、何を話したかは分からないが、たいそう親密そうだった、と報告したんじゃ。
なるほど、この報告をしたのが李利だった、と言う訳だな。まあ韓遂は表裏の大きな要注意人物だ。これは報告しない方が後々問題になった可能性が高いから仕方あるまいな。
そうじゃな、李傕は良い親族に恵まれていた、と言えるかもしれんのう。
李傕はこのことによって、樊稠が韓遂と和議を結び、異心を抱いているのではないかと疑ったんじゃ。そして結局李傕は樊稠を殺害してしまうんじゃ。
さて、李利の出番はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシのみの評価じゃな。
能力評価
李利は樊稠に従い軍を率いていたことから軍事能力に一定の才があったと考えるんじゃ。また樊稠と韓遂のやり取りをきちんと李傕に報告したことからも、判断力に優れた人物、と考え知謀もそれなりに評価したんじゃ。じゃが李暹と比べ軍を統率しての実績はないため、統率は少し抑え目の評価としたんじゃ。
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雑談ぢゃ
さて、李利の能力評価じゃ。
ふむ、軍事と知謀に優れている。李傕に少し近い能力じゃな。
李傕の一族は皆知謀が一定以上の才能があるような感じですね、政治はどうしようもありませんが。
そうじゃな、この才が李傕が仲間内でものし上がることができた所以じゃな。
だが、董卓のような圧倒磾なカリスマ性はなかったから、結局仲間内で権力を争うようになってしまった。檀石槐亡き後の異民族の内輪の争いとよく似ているな。
確かに彼らの中には羌族も多数いたし、異民族の地が入った人物も多かった。思考パターンが漢民族よりは異民族の方に近いかもしれんのう。それでは今回はここまでじゃな。良ければ次もよろしく頼むぞい。
うむ、それでは俺も戻る、次もまたよろしく頼むぞ。
張郃さん、お疲れ様でした。良ければ次もご覧ください。それと他の方で興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。