さて、今回紹介するのは胡軫と言う人物じゃな。字は文才で生没年は不明じゃ。彼は色々と評価の難しそうな人物なんじゃよ。
さて、今回は胡軫の紹介じゃな。彼はある人物達の引き立て役として名前が残っておるぞい。
どうも、張郃だ。ふむ、胡軫の評価か。確かにこれは少し難しいであろうな。
董卓配下ですし、姓が胡と言うことから異民族の可能性もありますし、普通に武官ではないのでしょうか。
そうとも言い切れん部分もあるんじゃな。さて、それでは早速行くぞい。
気になりますね、よろしくお願いします。
人物紹介
陳郡太守の胡軫
胡軫についてじゃが、彼の名前が出てくるのは呉志『孫堅伝』のところになるんじゃ。裴松之注釈の『英雄記』によると、孫堅が董卓を討つために陽人まで軍を進めた時のこと、董卓の方でも軍を出し、歩兵と騎兵合わせて五千でこれを迎え撃った、とあるんじゃ。
この時董卓側の軍は陳郡太守であった胡軫を大督護とし、呂布が騎督、他騎兵や歩兵を率いる将校や都督が大勢揃っておった、と言うんじゃ。
ちなみに同じ都督であっても兵の規模を考えると、後に周瑜や魏の曹仁や曹真らの都督とは意味合いがだいぶ違うようじゃな。ここでの都督は校尉や中郎将と同じぐらいの規模、意味であったろうな。
さて、この胡軫じゃが、後漢書の『董卓伝』によると結構勇猛でそれなりに活躍をしておったらしいんじゃ。じゃが『英雄記』を見ると、せっかちな性格だったらしく、部下からの信望はあまりなかったらしいんじゃ。
呂布との確執
この時も前もって以下のように公言しておったんじゃ。
「今度の出陣は、要するに青綬(郡の太守、孫堅のこと)を一人斬ればそれでおさまりが付くのだ。」
これを聞いて皆反感を持った、とあるんじゃな。その一人を斬るためにいったいどれだけの犠牲が必要になるのか、言うだけなら簡単だがな、と。
物事をシンプルに考えるのは大事じゃが、そのために多大な犠牲を必要とするようでは論外じゃ。軍を率いるトップならまずは以下に犠牲を出さないようにするかを考えねばのう。
さて、軍は陽人城から数十里の広成まで到着したんじゃ。強行軍だったため人馬共に疲労困憊し、日もくれた状況、通常ならここで野営するはずじゃ。これは董卓からの指令もそのように指示してあったんじゃ。
広成で宿営し、馬にかいばをやり、腹ごなしをし兵士にも腹ごしらえをさせた後、夜に乗じて軍を進め、夜の明けかかるのを待って、陽人城を攻めよ、とあったんじゃ。
じゃが配下の武将達は胡軫を心良からず思い、作戦がダメになれば良いのに、と思ったんじゃ。そしてその筆頭が呂布だったんじゃな。
呂布の謀計
「陽人城にいた敵は逃走した。今のうちに追わねば逃がしてしまうぞ。」
この情報を聞くと胡軫は慌てて動き、ろくに休むことなく軍を陽人城に進めるんじゃ。しかし城中の守備体制は良く整っており、不意を突いても攻め落とすことはできそうになかったんじゃ。
強行に強行を行ったため胡軫軍の軍吏や兵士は飢渇し、人馬共に疲労困憊し、夜中に到着したため、堡塁も塹壕も作れない状態だったんじゃよ。
皆が甲冑を脱ぎ捨てて混乱している時、呂布はまたもニセ情報を流すんじゃ。
「城中の敵が出撃してきた。」
軍勢は混乱に陥り、算を乱して逃走したんじゃ。皆甲冑を脱ぎ捨て、自分の鞍馬も見つけられない状態だったと言うんじゃ。
じゃが気が付くと敵はどこにもいない。夜が明けかかってきたので元の宿営に戻ってみるが、城の守りは堅く、塹壕も深く掘られており、城を攻めることができずに、胡軫は軍を返したんじゃ。
呂布も子供っぽいところがあるな。胡軫をやり込めたのは良いが、そのために振り回される兵士たちが気の毒でしょうがないな。と言うかさすがにこの記述は創作であろう。いくらなんでも軍を率いる人間がこのようなバカげた真似はせん、と思いたいぞ。
司隷校尉の胡軫
ちなみにその後、孫堅は董卓軍の徐栄に一回敗れ、その後敗残兵を集めて陽人で戦いが勃発し、そこで華雄を討ち取っているんじゃが、この時の孫堅の対戦相手が胡軫であったかは不明なんじゃ。陽人城の後すぐに陽人の戦いに直結していないので断言できんのじゃよ、申し訳ないのう。
また、胡軫は王允とも仲が悪かったようで、李傕達が長安に攻めてきた時に、徐栄らと共に迎え撃つ役目をおったんじゃが、胡軫はあっさり裏切ったらしいんじゃ。徐栄ほどの名将があっさり敗れたのもむべなるかな。
さて、『三輔決録注』によると、後に胡軫はしぶとく生き延び、司隷校尉となるんじゃが、游殷と言う人物と仲が悪かったんじゃ。游殷はなかなか優れた人物で、張既の才能を見出したり、また彼の息子の游楚は後に諸葛亮の北伐を阻む、名将の一人にだったりするんじゃよ。
しかしそんな游殷に対して、胡軫は無実の罪をでっちあげ、死刑にしてしまうんじゃ。
じゃがそんな悪行が己に跳ね返ってきたのか、彼は一月余りして病気にかかり、口を開くとただ
「悪うございました、悪うございました、游功曹(游殷)が鬼を連れてきた。」
と言うだけでついには亡くなってしまった、とのことなんじゃ。関中の人々は
「生きては人の勝ちを見分ける明識を持ち、死んでは尊き精神の霊魂を持つ。」
と称えたそうじゃな。
游殷殿は日本で言うなら菅原道真公のような感じのことをやっておるな。それにしても胡軫にも少しは罪の意識があったのだろうか。
祟りとかは元をたどれば本人の心の奥底の罪の意識が、そう感じさせる部分もあると思うのだがな。
こればかりは何とも言えませんのう。さて胡軫の人物紹介は終わりじゃな、続けて能力評価と行くぞい。今回は鄭問さん以外に出ておるぞい。
能力評価
胡軫は勇猛で董卓の下でも実績はあったらしいことから軍事は高めじゃな。じゃがその一方で呂布の謀計に騙され振り回される等、統率や知謀はかなり抑えめの評価となるじゃろう。
一応郡太守や司隷校尉を務めていることから政治は統率や知謀よりは少し高めじゃ。じゃが公平な政治を行えない辺り、やはりこちらも抑え目の評価となるのう。
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雑談ぢゃ
さて、胡軫の能力評価じゃな。
これまた分かり易いな。どの作品も軍事は高めだが、知謀や政治はほぼ最低クラスだな。
コーエーテクモさんと天舞さんは統率、采配はそれなりですね。
自分の場合は統率には下の人間を率いる才能、みたいなものも加味しているからのう。魅力、人徳はどちらもかなり低いことから妥当なところではなかろうか。
まあこれで公正な政治ができればもう少し政治面の評価は変わるのであろうがな。
確かに無実の罪に陥れて処刑なぞ、絶対やってはいかんことじゃ。因果応報と言うことになるかのう。さて、今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。