さて、今回は王淩の紹介二回目じゃな。前半は多少上下動あったが王淩の光の部分の紹介だったんじゃな。じゃがここからは闇の部分の紹介じゃな。
さて、王淩の紹介、2回目じゃ。
どうも、張郃だ。ふむ、ここまで来たらじたばたしても仕方あるまい。しっかり王淩の生きざまを見せてもらおう。
なかなか、こちらは厳しそうな感じですね。
そうじゃな。王允殿に劣らないぐらいに彼も激動の人生だったからのう。さて、それでは紹介にいこうかのう。
分かりました、よろしくお願いします。
人物紹介
夾石での曹休救出劇
225年6月、利成郡の兵士、蔡方等が郡を挙げて反逆し、太守の徐質を殺害したんじゃ。曹丕は屯騎校尉の任福と歩兵校尉の段昭を派遣し、青州刺史の王淩と協力して討伐平定したんじゃよ。
228年、曹休に従って呉を征伐するんじゃ。この時は呉の策略に曹休がはまり、夾石にて負け戦となり、呉軍の包囲を受けて全滅の危機に陥ったんじゃ。
じゃが王淩が力の限り戦って包囲の一角を突き破ったので何とか曹休も脱出でき、危難を免れることができたんじゃよ。
こう言うところで王淩の武が光っているのだな。武勇絶倫と言う訳ではないのだろうが死地においての胆力はたいしたものだ。
その後、揚州、豫州の刺史と相次いで転任し、いずれも軍兵・住民から喜ばれた、とあるんじゃ。豫州に着任した当初、過去の賢人たちの子孫を表彰し、まだ世に認められていない士人を探し出した、とあるんじゃ。
統治に関しては相変わらず優秀、と言う感じじゃのう。武勇にも優れているが、彼の本質は文治の方だったのであろうな。
満寵との確執
さて、王淩が揚州刺史であった230年、孫権は合肥城を攻めるが、当時征東将軍として合肥に駐屯しておった満寵に動きを読まれ、撃退されるんじゃよ。すると231年、呉将孫布が降伏を願い出てきたんじゃ。その書簡には
「道が遠くて自身で参ることができません。どうか軍を出して迎えてください。」
とあったんじゃ。
王淩は孫布の文書を上呈し、兵馬を以て彼を出迎えたいと願い出るんじゃ。
じゃが、満寵はこれは偽りと看破し、兵を与えず王淩に軽挙を控えるように忠告するんじゃ。丁度入朝しないといけなかった満寵は、留府長史に「もし王淩が迎えに行こうとしても、兵を与えてはならぬぞ。」と命じるんじゃ。
王淩は兵が与えられぬことから、一督将に700の歩兵と騎兵を連れて迎えに行かせたんじゃ。じゃが、満寵の読み通りで、孫布は夜に紛れて襲撃してきたため督将は逃走し、半数以上の死傷者を出したんじゃ。
先に曹休殿の件もあったから、普通なら警戒して当たり前の状況だが、どうもこの時満寵殿と王淩殿は折り合いが悪かったらしい。どれだけ冷静に判断しているつもりでも。嫌っている相手の忠告には反発してしまうものなのかな。
曹魏への忠義、そして・・・
241年5月に呉の大将全琮が攻めてくるんじゃが、王淩は諸軍を率いて迎え撃ち、優勢に戦いを進め、相手を退却させることに成功するんじゃよ。そして6月に王淩は征東将軍から車騎将軍に、その後も248年王淩は司空に、そして249年王淩は司空から大尉に任じられるんじゃよ。
じゃが、この頃から王淩は司馬一族の専横と傀儡となっている斉王(曹芳)に対して危機感を抱くようになるんじゃ。
丁度この頃外甥の令弧愚が兗州刺史に任じられたんじゃ。一族が揃って淮南地方の権力を握っておったことから、二人は密かに共謀し、曹芳では天子の位を担い切れない、と考え、楚王(曹彪)が年長で才能を具えていることから、曹彪を迎えて天子の位につけようと考えるんじゃ。
そこで令弧愚は張式を白馬まで派遣し、曹彪に挨拶させ、双方の間を行き来させることにしたんじゃ。
王淩も舎人の労精を洛陽に送り、息子の王広に話をさせたんじゃ。じゃが王広はこれを危ぶみ「天使の廃立は大事件です。真っ先に災難を受ける羽目にならないように。」と忠告するんじゃよ。
首謀者であった令弧愚が249年に亡くなってしまうが、王淩の陰謀は止まらず、250年に熒惑(火星)が南斗の位置に入り込んでいるのを見て、王淩は「斗中に星がある。急に高貴になる者があるはずだ。」
251年には呉軍が徐水をせき止めたことから、この機会を利用しようと考え、諸軍に非常態勢をとらせ、賊軍討伐を求める上奏をしたが、これは認められんかったようじゃな。
じゃが王淩はこの程度ではめげず、将軍の楊弘を派遣して、令弧愚の後任であった当時の兗州刺史黄華に廃立の件を告げ、協力を求めるんじゃ。
悪手だな、令弧愚は同族と言うことで情報を秘匿共有できただろうが・・・。
そうじゃな、黄華と楊弘は連名で司馬懿に密告し、司馬懿はすぐに王淩討伐に向かうんじゃ。じゃが曹爽達の時同様、先に王淩の罪を許す赦令を下しておき、更に王広にも書状を書かせて王淩を説諭させる、と言う念の入りよう。
これに騙されてのこのこ出頭してしまっては、もう司馬懿の思うつぼでしかない、のだがな。
さよう、王淩も曹爽達と同じ轍を踏んでしまうんじゃ。
王淩は自ら後ろ手に縛って出頭すると、司馬懿は主簿をやって縛めを解き官服に戻させてから王淩に会い、ねぎらうんじゃ。じゃがそれが見せかけでしかないことは、皆分かっておるじゃろう。
司馬懿は歩騎600を付けて王淩を都へ送るに至って、司馬懿が自身を許す気がないことを察知すると、自ら毒を飲んで亡くなるんじゃ。
王允の血を受け継いだのか、彼もまた波乱の人生を終えることとなってしまったんじゃな。
さて、これにて王淩の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価に行くぞい。今回は全作品に出ておるぞい。
能力評価
王淩は何度か武勇を発揮し、実績を残していることから軍事能力を高めとしているんじゃよ。また地方の統治者としても優れた治績を残していることから政治も高めじゃな。
じゃが孫呉の策略に嵌りそうになったり、司馬懿によって最期許されないことに気づくのが遅れたため、何もできずに自殺をすることとなったことから、知謀は抑え目じゃな。政治も政争に敗れたことから少しマイナスとなったんじゃ。
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雑談ぢゃ
さて、王淩の能力評価じゃな。
ふむ、天舞とお主は軍事と統率を入れ替えると似た感じになるな。
コーエーテクモさんは知力もそこそこあるんですね。
まあ、策略面では色々詰めが甘いことから、あまり高い評価にはできんかったのう。
そうだな、自分に都合の良いように判断しても、事態はその通りに進むことはない。その点王淩は甘いと言わざるを得んだろう。
それ以外は言うことのない理想的な都督であったと思えるんじゃがのう。さて、これにて王淩の紹介は終わりじゃ。彼も王允同様波乱万丈な人生じゃったと思うが如何かな。面白かったと思えば、次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。