三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

皇甫嵩(こうほすう) 字:義真(?~195)その1

さて、今回紹介する人物は皇甫嵩じゃな。字は義真、三国志演義じゃと最初の方にちょっとしか出ておらんから印象が薄い人もいるかもしれんが、後漢を代表する名将の一人じゃな。今回は少しボリュームがあることから、2回ぐらいに分けるかのう。

 

さて、今回紹介する人物は皇甫嵩じゃな。

どうも、張郃だ。皇甫嵩殿か、これはまた色々と語れそうだな。 

演義だとあまり印象がない内に退場してしまうのですよね、そんなに凄い人物なのですか?

そうじゃなあ、もし皇甫嵩が君主だったとしたら、君主ランキングで曹操に次ぐぐらいのポジションにつけるじゃろう、と言うぐらいは凄いと思うぞい。 

そうだな、文も武もどちらも高水準でこなす。我らが模範とすべき人物でもあるな。 

それは、確かにすごそうですね。早く紹介をお願いします。

うむ、早速紹介に行こうかの。今回も二回ぐらいに分かれそうじゃ。

分かりました、よろしくお願いします。

人物紹介

さて、皇甫嵩じゃが三国志の正史上では黄巾の乱以降の記述ばかりで若い頃の記録が見えてこないんじゃ。そこで若い頃の記録は宮城谷昌光氏の『三国志名臣列伝(後漢篇)』を参考にさせてもらうぞい。後漢書の購入も考えんといかんかのう。じゃがそれをやると泥沼にはまりそうな気もするぞいw

若き日の皇甫嵩

それによると、父は皇甫節、雁門郡の太守まで上った人物じゃ。この地は異民族と接する厳しい土地柄じゃな。そして叔父には涼州三明(の一人)と言われた名将皇甫規がおるんじゃ。涼州三明の残り二名は段熲、張奐じゃな。

段熲は段煨の紹介のところでも少し名前が出ておったのう。張奐は気が付いている人は気が付ているかもしれんが『蒼天航路』と言う漫画で最初期の頃、曹操に従っていた老齢の武人、あれが涼州三明の一人、張奐だったんじゃ。

待て待て、史実では曹操殿と張奐殿に関係はなかったはず、しかも張奐殿は181年で亡くなっているではないか。

そこが創作物のいいところじゃな。本来だったら関係のないところに関連性を持たせる。しかも張奐と言う超大物が曹操に従うんじゃ。これは知ってる人にしてみたら面白くならんはずがなかろう?

さて、ちと脱線が過ぎてしまったが、そんな大物の叔父、そしてどちらかと言えば文治に優れた父の背中を見ながら育ったためか、皇甫嵩は詩書を好み、弓馬に優れると言う、文武両道の若者へと成長していったんじゃ。

中央への招聘

さて、当然のことながら、皇甫嵩の名声は非常に高く、成人になると孝廉だけでなく茂才にも推挙されるんじゃ。

どちらかに推挙される人は結構いるだろうが、両方となるとなかなかいないであろうな。

「孝廉」と「茂才」の違いって何でしょうか?

ふむ、「孝廉」は親孝行で徳があり、欲がないことじゃな。「茂才」は「秀才」のことじゃ。後漢の初代皇帝が劉秀だったので「秀」を使うことがはばかられたため、「茂才」となったんじゃよ。

まあ世の中には孝廉に推挙してもらうため、孝行者のフリをする人間も多数いたがな。曹丞相が一番嫌うタイプの人間だな。

そうじゃな、そう言うのは腐敗の温床にもなってしまうからのう。

さて、それだけ名声の高い皇甫嵩じゃから、当然中央からの引く手も数多じゃ。すぐに陳蕃・竇武に招かれるも、何故かこの時は出仕しなかった、とあるんじゃ。

しかし、その後に霊帝に招聘されると出仕し、北地太守等を歴任したんじゃよ。

ちなみに後に陳藩と竇武は後に宦官に殺害されるんじゃ。もしかして、皇甫嵩は何らかの予感があったのかもしれんのう

黄巾の乱勃発

さて、霊帝の招聘に応じて議郎(皇帝の顧問)に就いたり北地太守を務めた皇甫嵩であるが、その後10年以上、皇甫嵩の事跡はぷっつり途絶えておるんじゃよ

そんな皇甫嵩の名前が再び世に出てくるのが、皆が知っておる黄巾の乱じゃな。

自分もここから始まったな。懐かしい話だ。

朝廷内は激しく動揺したが、そこで皇甫嵩党錮の禁を解くように献言するんじゃ。元々党錮により名士層たちにいらぬ怨みを作っていた訳じゃから、霊帝はこれを解くんじゃ。

皇甫嵩朱儁

さて、じゃがそれだけで事態が好転するはずもなく、黄巾賊を討伐する指揮官が必要になってくるんじゃ。

そこ選ばれたのが一人は朱儁で、右中郎将に任じられるんじゃ。もう一人はもちろん皇甫嵩で、こちらは左中郎将に任じられる形じゃ。

さて、朱儁は既に揚州方面でも戦場で実績を残しておる人物じゃが、皇甫嵩は恐らくこれが初陣じゃな。

どちらも後漢を代表する名将だからな。だがそれでも黄巾賊は農民兵と言う、騎馬民族や南方の異民族を相手にするのとはまた少し意味が違うからな。 

そうじゃな、実際、潁川郡にて黄巾賊と戦った朱儁は一敗地に塗れるんじゃよ。 

朱儁も黄巾賊相手に敗北らしき敗北をしたのはこの一回のみじゃったから、勝手が違ったのかもしれんのう。

じゃがこれにより皇甫嵩の軍が前に出る形になり、黄巾賊の攻撃をまともに受けるようになってしまい、遂には駐屯していた長社県にて黄巾賊に包囲されてしまったんじゃ。

初陣にして、最大の試練だな。とは言え結果を知っている人も多かろうに引っ張るのだなw

まあ、これぐらいはしても罰は当たらんじゃろう。さて皇甫嵩は如何にしてこの苦境を乗り切るのか、それは次回のお楽しみじゃ。それではまたの。

 

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