さて、今回紹介する人物は華雄じゃな。演義で大活躍して知名度抜群、な人物じゃが、正史との乖離が激しい人物でもあるのう。字や生年は不明、没年は191年じゃな。
さて、今回紹介する人物は華雄じゃな。
正史ではそこまででもないのですよね。
うむ、そこまででもないどころか、ほとんど何も書かれておらん、と言うのが実情じゃな。
そんなに記述が少ないのですか?
そうじゃな、それでは華雄について見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、華雄についてじゃが彼の出番は『董卓伝』のところでなく、またも『孫堅伝』のところじゃな。
時は魯陽で胡軫達が呂布の策略によって孫堅に太刀打ちできず、その後徐栄によって孫堅が打ち破られた後の話じゃ。
徐栄によって命からがら危地から脱出した孫堅じゃが、その程度でへこたれる人物ではない。すぐに軍を再編し、陽人で董卓の軍と交戦し、大いに董卓の軍を破るんじゃ。この時陽人におった指揮官が誰であったか、史書からははっきり読み取れんのじゃが、胡軫(副官呂布)の可能性が高いかのう。
最悪の組み合わせだな。
そうじゃな、呂布は胡軫を毛嫌いし、足を引っ張っておるからのう。これではまともな指揮官でも勝つのは難しかろう。
さて、この時の敗戦で、都尉の華雄らは首を斬られ、獄門にかけられた、とあるんじゃよ。
官位が都尉と言うことは、校尉であった李傕や郭汜等より下の役職だな。董卓軍でもそこまで重要な地位にいたと言う訳ではないな。
そうじゃな、華雄の武名は演義あってこそじゃからな。さて、華雄の紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。華雄は鄭問さん以外に登場しておるぞい。
能力評価
華雄は都尉と言うことから武官なのは間違いない、のじゃが校尉であった李傕達よりも官位が低いこと、そして孫堅に敗れ、斬られていることから軍事・統率共に抑え目としたんじゃよ。知謀や政治も実績がないことからこちらも控えめとしたんじゃ。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、華雄の能力評価じゃな。
お主・・・容赦ないのう。
かなり手厳しい評価になりますね。
実績が見えてこず、名前だけでしかも敗北しているとなると、正史のみを見るとこの辺りが限界であろう。
ふむ、確かに袁紹や袁術陣営などの武将と見比べてみると、確かにこれぐらいが妥当と言えば妥当と言えるか。
そうじゃな、もう少し活躍の場面があれば、と言いたいとこじゃがな。さて、演義とのギャップが非常に大きかったと言えるが如何だったじゃろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。