さて、今回紹介するのは蔡邕の2回目じゃな。ここまで順調に成果を残しておった蔡邕じゃが、この辺りから逆風が吹き荒れるんじゃよ。
さて、今回は蔡邕の紹介2回目じゃな。
どうも、張郃だ。逆風と言うことは霊帝時代の諍いの話であるな。結局蔡邕殿も宦官の権力欲に追い落とされる。
この辺りの話は私も全然知らないですから、興味あります。
うむ、それではまたこの辺りは宮城谷氏の『三国志外伝』を参考にさせてもらおうかのう。
分かりました、よろしくお願いします。
人物紹介
霊帝からの諮問
175年頃のことじゃ、この頃中華は天変地異や妖異が多かったんじゃ。
いつの時代でも天変地異が起こるとそれまでの日常が日常ではなくなる。そこに住まう人々は大変であろうな。
霊帝もこれには頭を痛めたようで、蔡邕に忌憚ない意見を求めたようじゃな。
さて、じゃがしかし、この諮問が蔡邕の運命を大きく暗転させるんじゃよ。蔡邕は自身の意見を率直に書いて伝えるんじゃが、霊帝が厠に立った時にこの書を盗み見た人物がいたんじゃよ。
それが中常侍の曹節と言う人物じゃな。本来霊帝以外が読むはずのない書を盗み見られた。当然この内容は伝わり、蔡邕の批判を受けた人物は逆に蔡邕を怨むんじゃ。
この頃、蔡邕は司徒の劉郃と仲が悪く、蔡邕の叔父の蔡質は将作大匠の陽球と仲が悪かった。陽球は中常侍の程黄の娘をめとっており、この程黄が
「蔡邕と蔡質は、しばしば私事で、劉郃に頼みごとをしますが。劉郃が聞かないので、蔡邕は劉郃をうらみ、彼を中傷しようとしています。」
と讒言するんじゃよ。蔡邕も上書するが、聞き入れられず、結局蔡邕と蔡質の二人は獄にくだされるんじゃ。
このままいけば極刑を食らうことになってしまう。はっきり言って相当危険な状況じゃ。
じゃが、この危機的状況を救ってくれたのも、実は宦官だったんじゃ。同じ中常侍の呂強は、逆に蔡邕を弁護したんじゃな。これにより蔡邕は死一等を減じ、朔方へ流刑となるんじゃ。これは幷州五原郡の辺りじゃな。
ちなみに蔡邕は橋玄が曹操を評価しておったことから、全ての宦官やそれに連なる者を嫌っていたわけではないと思うんじゃ。そしてそのことが後に蔡文姫を救うことにもなるんじゃが、それはまた別の話じゃな。
さて、流刑地へと家族と共に移動する蔡邕一行じゃが、そこに至るまでにもまだまだ苦難は続くんじゃよ。
陽球からの刺客
蔡邕と蔡質を憎む陽球は、朔北へと移る一行に対し、刺客を放つんじゃ。じゃが、なぜか彼らは依頼を受けながら、蔡邕を暗殺することなく去っているんじゃ。
劉備と似たようなことをやっているな。何か彼らを暗殺に踏み切らせない特別な雰囲気があったのであろう。
刺客から暗殺成功の報告がないことで、今度陽球は州牧や太守に賄賂を渡し、暗殺を依頼するんじゃ。陽球も相当執念深いのう。
じゃが、それでも蔡邕は暗殺されることなかったんじゃ。恐らく刺客が感じたであろう、ここでこの人物を殺害してはならない、と言う空気のようなものを皆感じ取ったのではなかろうか。
道中色々と大変な目にあった蔡邕じゃが、何とか朔北へ到達することができたんじゃ。
ちなみにこの陽球じゃが、漁陽郡の出身で剣術・弓馬に優れ、気性に烈しさがある、とのことから、どちらかと言えば武人肌の人物らしいんじゃ。しかしこの蔡邕へのしつこさを見ると、武人肌と言うイメージから少し外れるのう。
五原郡は呂布とかの出身地だ。辺境で異民族の侵入も度々あるこの地での生活は辛かったであろうな。
そうじゃな。とは言えこの地での生活はそこまで長くはならんかったようじゃ。これは蔡邕にとっては幸いであった、と言えるのではなかろうかのう。
と言ったところで今回はここまでじゃな。そろそろ董卓編が見えてきたのう。
それと今日明日はちと出かける用事があるので、次に記事を投稿できるのは日曜じゃな。スマンが少し待ってくだされ。それではまたの。
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