さて、今回紹介する人物は宣璠じゃな。字生没年は不明。実績もほとんど残っておらんのでなかなか評価の難しい人物じゃな。それでは宣璠について見ていくとしようかのう。
さて、今回紹介する人物は宣璠と言う人物じゃな。
どうも、張郃だ。今回はまたいきなり知名度のあまり高くない人物となったもんだな。
そうじゃな、彼は演義にも出てこない、パッと名前を見ただけでは何をやった人物か、ワシも分からんかったからのう。
こういう時のためのデータベースですからね、しっかりと紹介していきましょう。
う、うむ、それでは早速見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、宣璠じゃが、彼の名前が出てくるのは一ヶ所、それも本伝ではなく、裴松之の注釈のところじゃな。
『董卓伝』の裴松之注の華嶠が記した『漢書』によると、反董卓連合軍との戦いをうまく回避するため、董卓は長安への遷都をもくろみ、公卿以下の官僚を召し出して大会議を開くんじゃ。
その場で董卓と楊彪との間で丁々発止のやり取りが行われるんじゃが、そこは楊彪の紹介のところを見てもらうと良いぞい。
さて、この議論で董卓は大いに怒り、会議が打ち切られた後、董卓は当時の司隷校尉であった宣璠に命じて、自然の災害異変を理由に弾劾の上奏を行わせ、それを元に辞令を出して、楊彪を罷免したんじゃよ。
司隷校尉は、洛陽・長安を中心とした中央の治安維持と法の監察官、ざっくり言えば警察長官と検察長官を兼ねたような役職じゃな。かなり重要な立場と言えるが、この時は董卓の言いなりになるしかしようがなかったんじゃ。
もう少し気概が欲しいところだが、下手に逆らえば己の命が亡くなりかねん状況だから、こればかりは仕方ないな。
楊彪殿も命を取られる、と言うところまでは至っていないからのう。ワシだったら速攻で上奏文を認めていそうじゃ。その前に司隷校尉にすらなれん、と言うオチが付くがのうw
さて、宣璠の紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシのみの評価になるかのう。
能力評価
宣璠は司隷校尉と言う立場で、いわば法の番人と言う立場であったことから、推定じゃが政治能力、それと統治に必要な統率を高めとしたんじゃ。
その一方董卓の圧に屈し、偽りの弾劾分を作成しないといけなかったことから、全体的に抑え目の評価とさせてもらったんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、宣璠の能力評価じゃな。
さすがに司隷校尉と言う肩書だけではそこまで高い評価はできないか。
宣璠に関しては史料が少なすぎますからね。さすがに実績がないと高い評価はできない、と言うことですね。
そうじゃな。政治と統率が高い辺りは蔡邕殿にも少し近い感じじゃがな。
それでも政治は最高で95まで上がるから、なんだかんだで使いどころは出てきそうではあるな。
そうじゃな、統治者としてバランスの取れた能力じゃから、使いどころは幾らでもあるじゃろう。必要ない人物なんぞおらんからのう。さて、今回はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るぞ、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。