さて、今回は馬騰勢力の紹介じゃ。
勢力概要
さて、今回は馬騰勢力の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。わざわざ俺を読んでいると言うことはあの問題の説明を行う、と言うことか。
張郃さんが来てることと、勢力の説明に何かの関係があるのでしょうか。
そうだな、これは当時の情勢を多少なりとも記憶している方が説明し易いであろうからな。とは言えざっくりとしか記憶にないからそこは容赦してくれよ。
???あまり把握はしていないですが、張郃さんが説明してくれる、と言うことで良いでしょうか。
そうじゃな、ここは張郃殿にお任せすることでよろしいじゃろうか。
関西の状況
さて、それでは弟子さんよ、お主が知っておる司隷、雍州、涼州とはどのような位置関係になっているかな。
私の場合ゲームからの知識ですから、以下のような感じでしょうか。
ふむ、ゲームから知識を得た人達は大体この位置関係になるのだろうな。だが実はこの三州は後漢末の位置関係から大きく変わっている、としたらどうなる?
それは・・・この地域の話をするのに、色々面倒そうですね。
その面倒なことが、この時代はあったのだ。元々関中より西の地域は情勢が不安定でな。反乱ばかり起こることから、後漢でも涼州廃棄論が挙がるほどであったのだ。
州の管理も難しいことから、統治の状態もころころ変わった、と言うことですか。
そんな感じだな、位置関係は具体的に見てもらった方が分かり易いか。
これは・・・雍州がないんですね!?
そう、元々この地域は司隷と涼州がそれぞれ雍州の一部地域を含んだ二州だった。司隷は洛陽だけでなく、長安のあった京兆や、鄭渾が監督官になっていた左馮翊も含んだ地域、俗に言う三輔と言う地域をひっくるめて司隷と言っていたのだよ。
涼州が不安定な地域だったことから、司隷との間にワンクッション置くように雍州を設置したのでしょうか。
いや、ことはそんなに簡単ではないのだ。次に州の配置は以下のように変わる。
これは・・・雍州と涼州の位置関係がおかしくなっていないでしょうか?
いや、これで合っているのだ。元々涼州の州都は漢陽郡にあって、漢陽郡は涼州の南の方に位置していた。新しい州を設置する時に、元の州の州都を移すのは非効率だからな。だから最初は雍州が西の果ての方だったのだ。
これがどういう状況から、位置がひっくり返ったのでしょうか?
お、理解したようだな。そうこの後さらに変化があるのだ。それが次のような形になる。
あれ、涼州が・・・消えました?
そう、涼州が消えて、元涼州だった地域が全て雍州となったのだ。
あ、分かっちゃいました。これって初期の涼州と同じ状態ですよね?だから初期から二期の流れと同じになるんじゃないですか。
正解、ここからまた涼州が分割されるのが次の状態なのだ。
だいぶ最初に私が知っている状態に近づいてきましたね。
そうだな、ここからさらに細かい郡の移動があり、例えば冒頭の方でも少し語っていた、三輔の地域が雍州に組み込まれるなどして、一番最初にお主が提示した位置関係に収まるのだ。
初期からここまで、およそ180年頃から220年頃までの、30~40年ぐらいの間にこれだけ変わっていることになるかな。
これは馬騰・馬超・韓遂等の紹介で州の話は凄いし難いですね。だから涼州とか雍州とかの表現はあまり使わず、関中とかの表現が多かったんですね。
まあ正史文中で使われている表現はそのまま使っていたであろうがな。それだけこの地は混乱していた、と言うことは何となく分かったかな?
分かりましたが、難しい地域だったのですね。張郃さん、ご説明ありがとうございました。
張郃殿、ご苦労様でしたのう。さて、馬騰勢力紹介の第一回目じゃが、地域の説明がちと長くなったので、今回はここまでにしようかのう。次からは馬騰と配下武将、勢力のまとめをやっていくぞい。
うむ、それでは戻るか、また次もうよろしく頼むぞ。
お疲れ様でした。またよろしくお願いします。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい