さて、今回は韓遂の紹介じゃじゃな。字は文約、生年は不明じゃが没年は215年、年齢は70を超えておったと言うから、結構澄明な人物じゃな。
彼は西方で漢に逆らい続けた、したたかな人物なんじゃよ。
さて、今回は韓遂じゃな。ちと彼に関してはテキストがあちこちに分散しておるから、まとめるのが大変なんじゃ。
馬騰さんのところで色々話は出ていましたよね。彼はどんな人物でしょうか。
そうじゃな、多分彼の雰囲気はちょっと劉備に似てるとこもあるんじゃ。やってることは漢への反逆じゃから誉められることではない、じゃが何度も反逆しながらも、そんな彼にずっと付き従う家臣もいる、非常に魅力的な人物でもあったようなんじゃよ。
よし、それではまずは戦績から見ていくとしようかのう。
わかりました、よろしくお願いします。
人物紹介
軍事面の実績
対涼州刺史 〇 金城
対張温 〇 隴西
対董卓 × 隴西
対傅燮 〇 漢陽
対樊稠 × 長平観
対郭援 〇 河東
対衛固・張琰 〇 河東・弘農
対張晟 〇 河内
対高幹 〇 幷州
対張猛 〇 武威
対曹操 × 潼関
対閻行 〇 西平
対夏侯淵 × 顕親
対夏侯淵 × 長離
17戦 10勝7敗
およそ以上になるかのう。トータルの勝率は5割9分弱じゃな。上でちょっと劉備に似てる、と書いておったが、まさか勝率まで同じぐらいになるとはさすがに思わんかったぞい。
上を見てもらうと分かるが、韓遂の戦いは強敵相手が非常に多いんじゃ。だからこそ敗北が多かった、と思うんじゃ。それではいくつかの戦場での戦いを披露しようとするかのう。
主な軍事内容
馬騰との戦い
さて、馬騰と韓遂が長安におった樊稠らに攻められて敗走した後の話じゃ。『典略』によると、当初義兄弟として親しく付き合っておった二人じゃが、その内に兵を繰り出し、互いに侵入し合い、仇敵の間柄となったんじゃ。
こうなるに至った経緯は不明じゃが、馬騰は一度韓遂を攻撃して、これを敗走せしめたんじゃが、韓遂は軍を糾合して立ち戻り、馬騰を攻撃して、今度は馬騰の妻子を殺害してしまったんじゃ。これにより戦闘は何時までも継続する泥沼の事態に陥ってしまったんじゃよ。
先日、閻行のエピソードを書いたが、この時の馬超と閻行の戦いは閻行優勢で終わったが、馬超も生き延びていることから、完全な勝利とまではいかんかったようだな。
後にこちら方面の鎮撫を任された鍾繇が両者を和解させることで、やっとこの泥沼の争いは終わった、と言うことじゃな。
張猛との戦い
さて、時代は209年、赤壁の戦いの翌年じゃ。この年に雍州刺史の邯鄲商を当時の武威太守であった張猛が反乱を起こして殺害するんじゃよ。
『龐淯伝』の裴注『典略』によるとこの張猛と言う人物、実は「涼州三明」の一人であった張奐の息子でもあったんじゃよ。そして張奐が武威太守であった時に、妻は張猛を身籠っておったんじゃ。
不思議な縁じゃが、この時に夢占師が
「奥方は今に男の子をお産みになります。後にまた、この郡に来られますが、まず必ず在職のまま亡くなられます。」
と言ったんじゃ。
張猛は反逆しておった訳じゃから、当然そのままで済むはずがない。そこで出てくるのが韓遂じゃな。彼は上訴して張猛の討伐に赴くんじゃ。
張猛は軍を出して防がせるんじゃが、官吏・人民は韓遂を恐れ、逆に一緒になって張猛を攻撃してくるんじゃ。
恐らく夢占いの話を聞いていたであろう張猛は、運命から逃れる術はない、と思い、自身で火を放って亡くなったんじゃよ。
まあ、張猛はやったことがあまり良くなかったから仕方あるまい。ここでの韓遂は普通に有能な将軍、であるな。
そうじゃな、珍しく白い韓遂、と言う感じじゃな。さて、とりあえず今回はここまでじゃな。次はそれ以外のエピソード等行こうと思うぞい。
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