さて、今回紹介するのは蔣石じゃな。字や生没年は不明。彼もまた韓遂配下のものじゃが、彼の存在が韓遂の最後にちと波紋を投げているんじゃ。どう言うことか、彼の事跡について見ていくとしようかのう。
さて、今回は蔣石の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。蔣石とはまた渋いところを突いてきたな。
演義では見ていないような気がしますね。上で書いている波紋がどんなものか気になりますね。
そうじゃな、それでは早速彼の事跡について見ていくとしようかのう。
よろしくお願いします。
人物紹介
さて、蒋石じゃが、彼についての記述はわずかなんじゃよ。
魏志『武帝紀』を見ていくと、時期は215年、丁度曹操が漢中の張魯を攻めた時、西平・金城を占拠する将軍の麹演・蒋石等は協力して韓遂の首を斬り、曹操に送ってよこした、とあるんじゃ。
あれ、前回郭憲さんが韓遂を匿って、最後は病死した、と書かれていませんでしたか?
うむ、そこが今回波紋となるところじゃな。じゃが実は矛盾なく説明できるからくりがあるんじゃよ。
さて、病死したはずの韓遂が何故斬られたことになるのか。これは郭憲の話の続きに書いてあるんじゃ。
郭憲の続きを見ると、韓遂が病死した後、何と死んだ韓遂の首を斬って、曹操の下にこれを送った者がいたんじゃ。その時に、首謀者は韓遂の首をとった功績者の名前を列記して、一緒に曹操に渡しているようなんじゃ。
死者の墓を暴くことはままあるが、それにしても功績を上げるためにそこまでやるのか、少し苦い話だな・・・。
そうじゃな、死者に鞭打つ行為じゃから、あまり感心はせんのう。明確に名前は書かれておらんが、恐らくこの時に蔣石の名前も列記されておったのと思うんじゃよ。ちなみに郭憲も列記されそうになったんじゃが、彼はきっぱりと断ったそうじゃ。ここにも義士あり、じゃな。
ちなみに『三国志全人名事典』を見ると涼州刺史韓遂の部下、と書いてあるため、ここで紹介しているんじゃが、正史の記述からは韓遂の部下とは明記されておらんのじゃよ。この辺りはどこが出典なのか、ちと謎じゃのう。
さて、蔣石の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシだけの評価じゃな。
能力評価
蔣石は将軍と言うことから軍事系は高めじゃ。本当は韓遂を斬った、と言うことから軍事をもう少し高くしようか迷ったんじゃが、死んだ韓遂を斬った、ではあまり高くはできんと判断し、少し控えめじゃな。
他の能力も目立つ実績はないことから、全体的に抑え目じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、蔣石の能力評価じゃな。
実績がほとんどないからこれは仕方ないか。かろうじて軍事が100を超えると言ったところだな。
韓遂は他の作品と見比べることができましたが、今回はどこにも出ていませんから比較もできませんね。
そうじゃな。まあとは言え出ていたとしてもほぼ名前だけじゃから、極端に高い数字になることはなかろう。
そうだな、死者の首を切ってもあまり自慢できることではないしな。
そうじゃな、さて、短いが今回はここまでじゃ。まあ語ることはあまりなかったが、良ければ次もご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。