さて、今回は黄昂の紹介じゃな。前回徐揖のところに出てきた人物じゃな字や生没年は不明。彼は徐揖との因縁があったことは徐揖の所に書いた通りじゃが、その後どうなったのか、見ていくとしようかのう。
さて、今回は黄昂の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。徐揖のところに出ている酒泉郡の豪族の生き残りだな。
徐揖は彼によって殺害されていますが、そのまま黄昂も無事では済みそうにないですかね。
そうじゃな、まあこう言うのは因果応報じゃからな。しかも揚豊等の行動を見るに義は徐揖にありそうじゃからのう。それでは見ていくとしようかのう。
よろしくお願いします。
人物紹介
さて、黄昂じゃが、序盤は徐揖の所に書いてある内容ほとんどそのままなんじゃよ。
魏書『閻温伝』の裴注、『魏略』の「勇侠伝」によると、建安年間に至り、酒泉太守の徐揖は、郡中の豪族黄氏一族を処刑した、とあるんじゃ。
これに対し、黄昂は何とか脱出してこの難を逃れたんじゃよ。
そして彼は家の穀物や金数石を用いて人を集め、千余人を手に入れ、徐揖を攻撃したんじゃ。この時、楊豊と言う義侠心に厚い人物がおったんじゃが、彼はこの黄昂の行為を道義にもとると考え、徐揖に話をし、妻子をそのままに張掖まで駆け付け救援を要請したんじゃよ。
龐淯も救援要請に向かったが、結局間に合わなかった話であるな。
さて、実はこの時張掖も反乱が起こり、太守が殺害される、と言う事態に陥ったんじゃよ。すると黄昂は張掖郡と協力体制をとり、勢力を合わせたんじゃ。
黄昂は楊豊が自身と同調しないのに腹を立て、高い懸賞金を出し、張掖に彼の首に縄をかけて生け捕りにして来いと命じるんじゃ。
さすがに身の危険を感じた楊豊は武威郡に逃げるんじゃ。
この時武威郡の太守は張猛、韓遂のところに少し出ていたが、「涼州の三明」の一人、張奐の息子じゃな。
この時張猛は楊豊を雁の都尉とし、ふれ文を携えて酒泉郡に布告し、徐揖のために復讐することを許したんじゃ。
問題行為のあった張猛だが、普通に冷静で的確な判断を行っている。さすがは張奐殿の息子と言うべきか。
さて、復讐を許されたとはいえ、楊豊はたった一騎で南羌の中に入るんじゃ。そこで彼は何とか千余騎の兵を集めることに成功したんじゃ。
じゃが恐らくまだ黄昂との兵力差は大きい。そこで楊豊は奇策を考えるんじゃ。
彼は郡城の三十里手前に到着すると、全騎兵に馬を降りさせ馬に柴を引きずらせて砂埃をあげるように命じたんじゃ。
この砂埃を見た酒泉の住民はびっくり、東方からの大軍が到着したと思い込んだんじゃ。かくて戦意を喪失した黄昂軍は敗れてちりぢりになり、黄昂も一人逃げ出すんじゃが、羌族に捕まってしまうんじゃよ。楊豊は黄昂に向かって言うんじゃよ。
「卿は先にわしの首に生きながら縄をかけようとしたが、今、逆にわしのために縛られた。どうじゃ。」
黄昂は面目なく思って謝ったが、結局楊豊に殺害されてしまうんじゃよ。
まあこれは仕方ないであろうな、やっていることは黄昂に非があったであろうからな。
そうじゃな、黄昂自身もそれなrに才能はあったと思うんじゃが、こればっかりは仕方ないであろうのう。
さて、黄昂の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。もちろん彼は全作品に登場じゃ。
能力評価
黄昂は徐揖を攻め滅ぼした実績から軍事と統率は高めの評価としたんじゃよ。
じゃが、楊豊の策にやられていることから、知略やまた統治もそこまで優れていた訳ではないことから、知謀と政治は抑え目じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、黄昂の能力評価じゃよ。
これはまあ分かり易い評価だな
軍事と統率が高めで、知謀と政治が低めってのは分かり易いですね。
そうじゃな。まあこれは実績を見てもその通りにしかならんじゃろう。
辺境であるからか、この辺りはなかなか混沌とした感じだからな。しかし黄昂も才はあったと思うのだが、惜しい人材ではあるな。
そうじゃな。色々問題のあった人物でもあるが、もう少し実績が見たかったところじゃのう。さて、今回はここまでじゃが、黄昂の人物像、如何じゃったかな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。