さて、今回は周昕勢力の紹介じゃな。
勢力概要
さて、今回は周昕勢力の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。しかし、周昕はわざわざ紹介するほどの勢力とも言えないのではないか。
確かに、二人ですからね、あ、もしかして周瑜さんと何か関係が?
出身地が違うから直接の関係はないであろう。それに同族とすれば、周瑜が呉であれだけ珍重される理由がなくなる。
そうじゃな、今回は勢力の紹介と言うより、周三兄弟(周昕・周昂・周喁)と孫一族、そして袁紹と袁術陣営の関係を簡単にまとめようと思うんじゃ。
さて、まずは勢力図からじゃな。
周昕は陳温のいた淮南の南の丹陽郡の太守であり、この両者は協力関係にあったようじゃな。曹操が助力を求めた時にこの両者が援けていることがその証と思うんじゃ。
陳温早くにいなくなってしまうが周昕、そして彼の一族は揚州で長らく袁紹派として袁術及びその配下であった孫一族と戦いを繰り広げたんじゃよ。
袁紹派閥と袁術派閥
さて、それでは袁術陣営に属している武将と袁紹陣営に属している武将、そして互いの関係がどうであったか見ていこうかのう。
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説明ぢゃ
さて、袁術配下の孫一族と袁紹配下の周一族の関係、如何じゃったかな。
細かい話を言うと公孫瓚や呂布、陶謙と言った人物も袁術派ではあるが、その辺りを書き出すと収拾がつかないな。
こうやって見ると周一族と孫一族が完全に袁紹派と袁術派の代表として、代理戦争を行っているようですね。
そうじゃな、そして全体的には孫一族が優勢に戦いを進めておるようじゃな。
とは言え、孫堅と孫策がいなければ、もう少し好勝負はできたと思うがな。
やはり孫堅・孫策の軍事的才能は凄かった、と言うことですかね。
そうじゃな、彼らがいなければもう少し揚州は混沌とした状況であったかもしれんのう。さて、周昕陣営の紹介はここまでじゃな。良ければ次も見てくだされい。
それでは俺も帰るとするか、ではまたな。
張郃さん、お疲れ様でした。良ければ次もまたお願いしますね。