さて、今回は紹介するのは張允じゃな。字と生没年は不明じゃな。演義を良く知っている人物じゃと彼の名前を見て、あれっと思うのではなかろうか。
さて、今回紹介するのは張允の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。張允と言うと有名なのは劉表のところにいた張允であるが・・・
うむ、その人物とは別の張允じゃな。
演義の張允は私も名前を憶えていますね。確か赤壁の辺りで出てきていましたよね。
うむ、同じ姓名じゃが、今回は別の張允じゃな。それでは早速見ていくとしようかのう。
よろしくお願いします。
人物紹介
高岱の友人
さて、張允の記述じゃが彼は呉志『孫策伝』の裴松之注のところに高岱、沈睧と共に名前が出てくるんじゃよ。詳細は沈睧のところを見てもらうとええぞい。
高岱が許貢から逃げるため、あらかじめ友人に船を用意してもらったんじゃが、その時に沈睧と共に協力した一人が張允、と言う訳じゃな。
この時許貢は案の定二人を解放したことを後悔し、人を出して高岱を追わせるんじゃ。この時に船に乗っている間に捕まえたら江上で殺すように、もしすでに江を渡ってしまっていたら見逃すように、と言い含めておったんじゃ。
だが、この時船に乗っていたのは高岱の母のみであった。あくまでも標的は高岱であったことから無事逃げ延びることができた、ということだな。
張允の親族とは
さて、この張允だが、実は呉の名族、張温の父親でもあったんじゃ。
張温と言ってもピンと来ないかもしれんが、呉ではかなり名声が高く、孫権が
「張温は一体誰に匹敵するだろうか?」
と尋ねると顧雍が
「現在肩を並べられる者はいません。」
と答えるほどで、また張昭もまた張温の手を握り、
「このおいぼれめがあなたに希望を寄せておること、どうかよく覚えておいていただきたい。」
と言うほどでもあったんじゃ。
後に蜀に使者として向かうことになるんじゃが、見事な応対ぶりに蜀でも評判が非常に高かったんじゃな。
孫権も顧雍の意見を聞いて、「もし顧雍の言うとおりであれば、張允は(息子の中に立派に生きており)死んではおらんことになるな。」と丁重に遇したんじゃよ。
さて、少し横道に逸れてしまったが、『張温伝』を見ると父親の張允は物惜しみすることなく、人々の援助をし、立派な人物達を丁重に遇したので、故郷の州や郡では評判が高かった、と言うことなんじゃ。
彼は孫権の下で東曹掾となり、死去したんじゃよ。
この顧雍達との会話の時、既に張允は亡くなっておった訳じゃな。
東曹掾は府の事務や人事を司る、まだ位がそこまで高くなかった孫権配下としては結構重要な役職だったのではなかろうか。
そうじゃな、沈睧よりは名声があったことが伺えることから、評価お少し変わってくるかのう。
さて、張允の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシの評価のみじゃな。
能力評価
張允は船の用意以外にもその名声の高さや、孫権の下での実績が見られ、特に東曹掾としての役職をこなしていたことから、政治を高めの評価としたんじゃ。
軍事方面は何も記録がないので抑え目の評価じゃな。また具体的な実績もないことから、全体的な評価も少し抑え目なんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、張允の能力評価じゃな。
沈睧よりは評判やはっきりとした役職についている分評価が高くなっているのだな。
沈睧さんにそう言ったエピソードがないのが残念ですね。
高岱のところでは二人並んで書かれておったから、本来は並び立つ存在だったかもしれんのう。
まあこればかりは仕方ないであろうな。それにしても張允が二人いたのは知っていたが、張温の父親だったのは気が付いていなかったな。
意外な関係じゃったのう、張温との関係やそこでの評判とかなければもっと抑えめの評価になってたかもしれんのう。さてさて、張允の紹介、如何じゃったかな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。