さて、今回は厳虎の紹介じゃな。字や生没年は不明。一般には厳白虎の名前で通っておる人物じゃな。彼は演義とあまり流れが変わらん人物と言えるかのう。
さて、今回は厳虎の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。ふむ、呉郡で暴れていた人物だな。演義にも出ているから名前はかなり通っている。
孫策が倒した相手ですよね、圧倒的な力の差を見せつけられていた、という印象があります。
そうじゃな、じゃがそこまで弱い相手でもなかった、と個人的には思うんじゃよ。理由は自分でも良く分からんのじゃがのう。
それでは紹介をお願いします。
うむ、それでは見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて厳虎の出番じゃが、まずは呉志『朱治伝』にその姿が見えるんじゃ。
朱治が孫策の下で活躍する前後のことと思うんじゃが、朱治が呉へ進出しようとすると、許貢が由拳でその行く手を阻むんじゃが、朱治がこれを攻撃し、徹底的に破ったんじゃ。
許貢は南へ逃げ、山越の不服住民であった厳虎の下に身を寄せた、とあるんじゃ。
山越と言うことは結構厄介な連中だな、彼らは不利と見ればすぐに逃げるから捕まえるのが容易ではない、と言われているな。
呉は長らくこの山越討伐に手を焼いておるからのう、厳虎はそう言った人物の一人と言うことじゃな
ちなみに厳虎ら何人か名前の通っている人間は数千から一万余の人数を集め方々にたむろしていた、と言うことなんじゃ。
呉景らはまず厳虎らを撃ち破り、それから会稽に軍を進めようと考えたが、孫策は「厳虎らは群盗にすぎず、大きな望みがある訳ではありません。いつでも虜にできるのです。」と言い、先に会稽郡に拠点を築いてから厳虎らを撃ち破ったんじゃ。
『呉録』によると厳虎は塁を高くし守りを固めたまま弟の厳輿を和睦の使者に送るんじゃ。じゃが、厳輿はこの時孫策に斬られてしまうんじゃ。
厳輿は勇猛で武力があったが、その彼が孫策に斬られた、と言うことで厳虎の一味はひどく驚き怖気づいたんじゃ。
この機を逃さず、孫策は軍を進めて打ち破った、という次第じゃな。
厳輿の死がなければ単に守りを固くして、もう少し持ちこたえたと思うが、全軍が怖気づいてしまってはどうしようもない。逆にその機を見逃さず攻めた孫策を誉めるべきであろう。
そうじゃな。ちなみにこの厳虎に対して、陳瑀と言う人物が援助をあれこれやっておったんじゃが、陳瑀の方も孫策の派遣した軍に敗れたりしたんじゃよ。ちなみに陳瑀は陳登の従兄の子なんじゃが、詳しい話はまたいずれ、じゃな
さて、孫策に敗れた厳虎じゃが、彼は許昭の配下に身を寄せたんじゃ。程普が許昭を討ちたい、と願ったが、孫策は主君(盛憲)への忠義と友人(厳虎)への誠意ある態度を示した許昭を高く評価し、これを差し控えさせたんじゃよ。
厳虎が許昭の古い友人と言うことは・・・本当に厳虎は山越の民なのだろうか。許昭は普通に漢民族の名族のようであるし、厳虎は不当に貶められているのかもしれんな。
その可能性は有るかもしれんのう。さて、許昭の下に身を寄せた厳虎じゃが、その後の消息は不明じゃな。
さて、厳虎の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回は天舞さん以外に出ておるようじゃな。
能力評価
厳虎は呉郡に勢力を張っておった人物で、万を超える人数を集めてこの地の代表で会ったことで軍事と統率を高めとしたんじゃ。
じゃが、孫策の機転に弟がやられ、その隙を突かれて敗北していることから、機略には弱かったと考え、知謀政治は抑えめとしたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、厳虎の能力評価じゃな。
ふむ、基本は軍事、武力面が高く、統率がそれに次ぐ、という感じだな。
三国志14と師匠の評価は良く似ていますね。
そうじゃな、まあこの辺りの印象は演義も正史もあまり変わらんじゃろうからのう。
だが盛憲勢力に彼が加わると結構強力な勢力になりそうだな。
確かに軍事能力は盛憲勢力のどの人物より高いからのう。盛憲勢力と厳虎勢力は互いの足りない部分を補うことのできる勢力だと勝手に思っておるぞい。さて、今回はここまでじゃが、厳虎について如何じゃったかな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。