さて、今回紹介する人物は厳輿じゃな。彼も字や生没年は不明。厳虎こと厳白虎の弟じゃな。彼もまた孫策の前に翻弄された人生だったと言えるじゃろう。
さて、今回は厳虎の弟である厳輿の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。ふむ、彼もまた演義と同様悲劇の最後を迎えた人物と言えるか。
演義では名前が少し違っていたような気がしますが・・・。
ああっと、吉川三国志とかだと厳与だったかな、簡単な文字になっておったんじゃなかろうか。
ああ、こっちの文字は何か見た記憶がありますね。最後も小説と同じでしょうか?
うむ、基本的な流れは変わらんはずじゃな。それでは見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて厳輿は厳虎よりも記述が少ないんじゃよ。
彼は呉志『孫策伝』の裴松之注『呉録』のところに出てくるんじゃよ。
時は建安年間、孫策が厳虎を攻めた時の話じゃ。厳虎は砦を固く守りながら、和睦の使者として厳輿を送り込むんじゃ。
孫策は厳虎が和睦を請うのに同意したことで、厳輿は孫策に一対一で会って和約を結びたい、と望んだんじゃ。
二人が会見した席上で、孫策は抜身の刃で席に斬りつけたんじゃ。厳輿は身じろぎをし、孫策は笑って「あなたが即座に立ち上がり、非常に素早い立ち回りができると聞きましたので、少しふざけただけです。」
これはもう最初から孫策は和約を結ぶ気が全然ない感じだな。厳輿が武勇に優れている、という評判から、厳輿を倒せば敵は士気を落とす、と考えているようだ。
これに対して厳輿は警戒しながら「刃物を見るとそんな風にできるのです。」
じゃが恐らくこの時点で孫策は厳輿の力量を見切っておったのじゃろう。孫策は厳輿にはそこまでできない、と判断すると手戟を投げて厳輿にぶつけて、その場で殺害したんじゃ。
手戟と聞くとちょっと分かりにくいかもしれんが、ようは投擲武器だな。倭国であれば棒手裏剣とかが近いであろうな。
投げナイフとかもその範疇じゃな。文帝(曹丕)も撃剣(短刀を使った投擲術などを中心とした護身剣術)をマスターしておったようじゃな。孫策もさすがの腕前じゃ。
さて、厳輿の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回は三国志14のみに出ておるようじゃな。
能力評価
厳輿は孫策にこそ及んでおらんかったようじゃが、武勇に優れていたらしきことから軍事は兄を超える評価としたんじゃ。
じゃが、他は実績がないためさすがに抑え目の評価じゃな。どちらかと言うと誰かの副将として軍事を補うような役割を担ってもらうと大きく力を発揮できるじゃろうな。
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雑談ぢゃ
さて、厳輿の能力評価じゃが・・・。
程度も違いはあれども武勇が高いのは分かるが、三国志14の方は微妙に知力が高いな?
そう言えば知力は兄よりもかなり高いですね。師匠と比べると統率も案外高いです。
これは孫策と和睦の交渉に行ったことが関係しているかもしれんのう。もっともそちらは不首尾に終わり、孫策に殺害されてしまう訳じゃがな。
まあしかし、例えばこの厳輿と盛憲勢力の高岱辺りと組ませたら面白いことになりそうだ。
兄の厳虎共々、盛憲勢力と相互補完できる人物じゃな。盛憲が厳虎勢力を必要とするのと同じで、厳虎にとっては統率・知謀・勢力の高い人物のいる盛憲勢力はうってつけの討伐あいてじゃろう。さて、今回はここまでじゃが、厳輿について如何じゃったかな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。