三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

雑談回その16

さて、新年初の雑談回じゃな。今回は何を語るとしようかのう。

 

さて、今回は雑談じゃな。

どうも、張郃だ。雑談と言うが、具体的には何をやるのかな。 

時期的に何の話になるか読めませんね。

うむ、丁度孫呉関係の地域でもあることから、曹操孫権陣営の大きな違いを見ていくとしようかのう。

そう言えば師匠たまに孫権は組織が違うから、みたいなこと言っていましたね。

そうじゃな。本当にざっくりとしたイメージなので、実体の組織とはまた違うと思うんじゃが、そこは目をつぶってくれんかのう

曹操陣営

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曹魏組織図

さて、曹魏の組織図じゃな、曹操殿を筆頭に方面軍司令官が一方面の軍団を統括し、その下に主力となる将軍たちが控えておる。

自分たちが所属しているのは一番下の将軍のところだな。方面軍司令官は夏侯惇曹仁、曹真等の親族連中や司馬懿、趙儼等監軍として複数の軍を統括する人物もここに含まれると言えよう。 

そして将軍や方面軍司令官とは別に魏軍の頭脳とも言える参謀集団が別に控えておるんじゃ。この内から方面軍司令官に抜擢される人物が出てくるんじゃ。司馬懿はこの例の代表人物じゃな。

これを元に孫呉の組織を見ていくとしよう。

孫権陣営

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孫呉組織図

さて、続けて孫呉の組織図じゃな、見ていただくと分かると思うが、非常にシンプルな組織であろう。

孫呉は参謀集団とか方面軍司令官はないのですね。

厳密にはない訳ではないが、例えば陸遜荊州都督ではあったが、彼の判断で荊州方面軍を動かした事例はほぼない。夷陵の戦いの時だけだな。

他にも魯粛関羽と境界で睨み合った時期、呂蒙孫権の指示でいくつかの地域を占領している。この辺りも結局孫権の移行が強く出ていると言えるであろうな。 

そうじゃな。都督とか丞相もいるが、彼等に兵権が完全に集中することはなく、あくまでも孫権の指示、許可あってのことなんじゃ。そう言う意味では彼らは多少上下はあれども、孫権の下で並列に位置していると言える。

段階的に組織を積み上げている曹魏とは大きく違う。これは孫呉の成り立ちと大きく関係があるのだろう。 

 

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雑談ぢゃ

ほっほっほ、さて、組織の違いだが、どうじゃろうか。

それにしてもなぜ孫呉はこのように並列組織になるのでしょうか。

それは孫呉が豪族の連合政権であるからだな。孫呉の「将軍」のところを「豪族」に置き換えると分かり易いであろう。 

豪族は自分達だけで一国一城の主でもあるからのう。それ故豪族の組織を変えて人を配置することが非常に難しい。

なるほど、豪族は豪族として自主独立に近い、日本で言うなら荘園制度に近そうな感じですね。

そうじゃな、治外法権が認められており、干渉ができない。それ故配下と言えど、自由に組織をいじることが難しいのが孫呉の特徴じゃな。

孫権がいろいろ苦労している、と言うのは配下のお神輿的な立場であったが故の、脆弱な権力構造であった、と言うことですか。

そうじゃな、曹操劉備は何だかんだ彼等に対して惹かれたから集まった人材が非常に多い。孫権はどちらかと言うと父や兄からの遺産を引き継いだ立場であるため、微妙に曹操達と立場が違うんじゃよ。

あまり強権を発動しようとすれば、反発を受けること必至であるからな。 

更に言うならあまり特定の武将(豪族)を優遇する訳にもいかんからのう。それも反発を招き、内部争いを招くことになるからのう、難しい話じゃ。

さて、今回はここまでかのう。実は今回の話は次の勢力紹介の伏線でもあったんじゃよ。と言うことで良ければ次も見てくだされい。

ふむ、となると次はあの勢力の紹介だな、それではまた次もよろしく頼む。 

私は次の勢力のイメージが湧きませんが、張郃さんもお疲れ様でした。見てくれている方、今日もありがとうございます。良ければ次も見てくださいね。