さて、今回紹介する人物は陸儁じゃな。字と生没年は不明じゃ。さて、この陸儁、姓からも分かるように陸一族の一人じゃ。じゃが、彼の人物像には謎が多いんじゃよ。
さて、今回は陸儁の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。ほう、陸儁殿にまで手を広げるのか。
あれ、張郃さん、陸儁を知っているのですか。
まあそれはこ奴が説明するであろう。
ふむ、陸儁は陸一族なのは分かっていると思うが、実は陸康の息子なんじゃよ。
へええ、陸績さんと兄弟なんですね・・・ん?でもそれじゃ陸績さんより年下だった、と言うことですか?呉郡に避難した時は年長の陸遜さんがまとめてたんですよね?
うむ、その辺りの謎が今回の話の肝じゃな。
人物紹介
さて陸儁の出番じゃが、実は彼は正史本篇には名前が出てこないんじゃ。
じゃが『陸遜伝』の最後に、三国志の日本語訳を行った訳者注が入っており、そこに陸氏家系図が描かれておったんじゃ。
それを見ると陸康のところは以下のようになっておるんじゃよ。
?・・・これだと、陸儁さんの方がお兄さんと言うことになりませんか?
まあ普通に見たらそうなるかな。
なぜこうなるのか、までははっきり分からんのと、三国志には家系図しか書かれておらんことから、ネット情報を調べてみると、Wikiの陸康のところに、朝廷は陸康の守節を憐れみ、子の陸儁を郎中とした、とあるんじゃ。
時機的に陸康が亡くなったのが195年頃と考えると曹操殿が郎中に任命している可能性がある、と言うことはこの時陸儁は中央の方にいたのではないかな。それに陸康の年齢を考えると弟よりは兄がいた可能性の方が遥かに高いであろう。
他にも子供がいた可能性が高いが、この孫策の侵攻によって多くが亡くなっていた、という状況だったのではないかな。
なるほど、確かに別の地域に一族の誰かがいてもおかしくないですものね。
後、彼の名前が残らなかったのは敵方の魏におったから、という可能性もあるのかもしれんのう。一族と言えども陸儁は敵だ、とだから史書にも何も記録を残さなかったのかもしれん。まあ名を残すほどの実績を残せんかった、という可能性ももちろんあるがのう。
さて、陸儁の人物紹介はここまでじゃ。続けて能力評価と行くぞい。もちろんわしの評価のみ、じゃな。
能力評価
陸儁は基本父親である陸康の評価を参考に統率を高めとしておるんじゃよ。
全体的な評価も実績が全くなく史書にも名前が残っていない割にそこそこの評価ではなかろうか。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、陸儁の能力評価じゃが、如何かのう。
史書に名前が残っていないにしては結構評価高いですね、何か理由があるのでしょうか。
ふむ、おい、弟子よ。俺の字(あざな)を覚えているか。
んっふっふっ、もちろん覚えていますよ。張郃さんの字は「儁乂」ですよね、あ。
ふむ、気が付いたか。そう、張郃殿の字と同じ文字を使っておるんじゃ。しかも「儁」と言う文字は「俊」にも通じる、「非常に優れた人」という意味を内包しておる。それを名として付けられた人物が無能であるとは考え難いんじゃよ。
名は体を表す、と言うこともあるからな。親はいろんな期待を込めて子に名を授ける子はその期待に応えようと努力をする。当たり前の話だな。
とは言え全く実績がなければ、これ位の評価が限界なのがもどかしいのう。さて、今回はここまでじゃな。謎の人物、陸儁について如何じゃったかな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。