さて、今回紹介する人物は雷緒じゃな。字や生没年は不明じゃな。彼もまた建安年間に盧江にて割拠していた賊の一人じゃ。まあ実際に彼が盧江で割拠するのはもう少し後かもしれんがのう。
さて、今回は雷緒の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。盧江は名前の残っている賊が多いな。
何故盧江はこれだけ荒れてしまっているのでしょうか?
まあやはり袁術の影響が大きいじゃろうな。彼がこの地を攻めて荒れさせ、また後には孫策の侵略も受ける。厳しい土地なんじゃろうな。それでは見ていくとしようかのう。
よろしくお願いします。
人物紹介
さて雷緒の出番じゃが、まず彼は『劉馥伝』に出てくるんじゃよ。
孫策が揚州を席巻している頃、孫策が任命した盧江太守の李述が揚州の刺史厳象を攻撃して殺害した時、盧江の雷緒等が仲間数万人を集めて長江・淮河一帯に跋扈し、郡や県は破壊された、とあるんじゃ。
そこで曹操は劉馥なら東南のことを任せられると考え、上奏して劉馥を揚州刺史に任命したんじゃ。
そして劉馥は単身合肥にの空城に入り、雷緒等を手なずけ、彼らを安定させた、とあるんじゃよ。
お主が持っておった『蒼天航路』でも描かれておったが、実際に人気のなくなった合肥周辺を富み栄えさせた功績は、全て劉馥殿に帰結すると言って良いだろう。演義の扱いは不遇であるな。
演義だと劉馥は赤壁前に曹操が読んだ詩文をその内容は不吉だと言ったことで、怒った曹操に斬られてしまう立場じゃからのう。
幾ら小説とは言え、赤壁時に亡くなったからと言う理由だけで、あのような扱いと言うのはさすがにどうかと思うぞい。
さて、劉馥には従っていた雷緒であるが、赤壁で曹操が敗れ、劉備達の勢力が伸びてくると、彼に降伏し従うようになるんじゃ。これは蜀志『先主伝』に記載があるんじゃよ。丁度劉備が荊南四郡を攻め落とした時期じゃな。
じゃが魏に敵対したことになる雷緒は、当然魏の討伐を受けてしまうんじゃ。
209~210年頃、魏志『夏侯淵伝』を見ると、曹操が孫権討伐からの帰還すると夏侯淵に諸将を指揮させ、盧江郡の雷緒を攻撃して打ち破った、とあるんじゃよ。
まあ時勢故に仕方ないのだろうが、魏から離反したことで討伐を受けるのは当然だな。
たしかに劉備に降伏して、しかも敵地と接しているのでは、攻めてくださいと言うようなもんじゃからなあ。
さて、雷緒の人物紹介は以上じゃな。続けて能力評価を見ていくとしようかの。今回もワシのみの評価じゃの。
能力評価
雷緒は盧江で暴れておった賊の一人じゃが、実際に活躍しておったのは200年前後の話じゃと思うんじゃな。
とは言え、実は雷緒は袁術配下だった雷薄の別名じゃないのか、と言う疑惑もあることから、ここでも紹介したんじゃよ。能力的には降るべき相手を見誤ったりしたことから知謀がやや抑えめじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、雷緒の能力評価じゃな。そう言えば雷薄と同一人物である、と言う可能性は実際あるんじゃろうか。
どうかな、同族の可能性は考えられるが、活動地域が違うのをどう見るか、だな。多分別人だと思うぞ。
武将としては統率がなかなか高いですね。
そうじゃな、軍事が高い武将がいればうまく弱い部分を補い合ってくれそうじゃな。
それにしても、盧江は修羅の地と言えそうだな。他にも反乱を起こした人物の名前が出てくる。
盧江は地理的に荊州、豫州と境界を接しておることから、周囲の影響を受けやすく、騒乱の地となり易かったのかもしれんのう。そんな中で自衛のために反乱を起こす人物が後を絶たんのかもしれん。さて盧江の賊であった雷緒について、如何じゃったかな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。