三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

劉曄(りゅうよう) 字:子揚(?~?)その4

さて、今回は劉曄の紹介4回目じゃな。

今回は曹操時代の劉曄を中心に見ていくとしようかのう。曹操の下で彼も知略は更に冴え渡ることとなるんじゃよ。

 

さて、劉曄の紹介4回目じゃな。

どうも、張郃だ。劉曄殿も4回目とはかなり語っていることになるな。 

前回までで劉曄の知略が冴え渡っていることは分かりましたが、更に結構張郃さんと同様に結構長命ですよね。

友人の魯粛が確か172年生まれじゃから同世代と考えると、明帝の治世、230年過ぎで丁度還暦ぐらいじゃから、そう考えるともう良い年じゃのう。

考えてみれば曹操時代を代表する荀攸さんや郭嘉さんは曹操さんより先に亡くなっていますもんね。そう考えると貴重な参謀ですね

まあ参謀は他にもいるが、郭嘉らの後は劉曄と言えるじゃろうな。それでは見ていくとしようかのう。

人物紹介

明帝への面会

さて、曹丕が亡くなり曹叡が即位した時のことじゃ。

『世語』によると、明帝(曹叡)と朝臣とは元来接触がなかったため、即位の後、群臣はその人柄について、あれこれ想像し、取沙汰したんじゃ。

そのまま数日が経過した時点で、ただ侍中の劉曄とだけ謁見し、一日中語り合った、と言う話じゃ。

大勢の人が立ち聞きし、劉曄が退出してくるや「どうでした?」と尋ねたところ、劉曄は次のように答えたんじゃ。

「秦の始皇帝、漢の孝武帝の仲間ではあるが、資質は少し及ばないであろうな。」

これはちょっと疑問だな。劉曄ほどの人物が皇帝の人柄についてペラペラしゃべるであろうか。この辺りは創作っぽい印象があるな。 

確かに劉曄のあまり議論に参加せず、必要ない時は口を閉ざす性格を考えると、このように皇帝の性格を皆に話すじゃろうか、と思うのう。

遼東公孫氏について

さて、遼東の太守公孫淵が叔父(公孫恭)の位を奪って勝手に官位に就き、使者を派遣して事情を上申したんじゃ。

劉曄は次のように考えるんじゃ。

漢の時代に起用され、代々官位を受け継いでおり、一種の独立国となっている遼東は水路は海を利用し、陸路は山に阻まれている。そのため蛮族の住む絶縁の地となって制御しにくくなり、長年月を経過したのである。

今もし処罰しなければ、後に必ず災いをもたらすであろう。もし二心を抱き、軍事力を頼むようになってから初めて処罰を行うならば厄介となろう。

彼が自立したばかりで、反対派や仇敵が存在する間に先手を打ってその不意を打ち、兵を以てこれに臨み、恩賞を設けて降伏を誘えば、軍隊を使わずに平定できるであろう。

実はこのやり方をほぼ踏襲して公孫氏を討ったのが司馬懿なんじゃな。もっとも彼は兵を用い、公孫氏の降伏を拒否して軍を用いて殲滅するという違いがあるがな。

さて、そんな劉曄であるが漢の王室を魏が率いており、自身は漢の王室に連なる人物であったことから、あまり人と付き合わないようにしておったんじゃ。

この辺りは賈詡殿の処世術にも通じるものがあるな。知謀の士がむやみに人とつるむと上から警戒されろくなことにならない、と言う考えだろうな。

そうじゃな、さて、いよいよ最後の時じゃな。

劉曄の最後に関して

さて、劉曄は病気のため232年に太中大夫に任命されたんじゃ。しばらくして大鴻臚となったが、官位にあること二年で職を譲り、また太中大夫となって逝去したんじゃ。おくりなを景侯と言うんじゃ。

じゃがこの逝去には異説があるんじゃ。『傅子』によると、ある人物が劉曄の悪口を帝に吹き込むんじゃ。

劉曄は忠節を尽くしておりません。うまくお上のお気持ちの方向を察知してそれに同調しているだけです。陛下には試しに劉曄と話をされたおり、全てお気持ちと反対のご質問をなさいませ。

もし質問したことと全く反対の意見であれば、それは劉曄が常に聖帝と合致していることでございます、が恐らくそうはならないでしょう。」

そして試しに彼の言うとおりに質問すると、劉曄は全て帝の意見に迎合するように答え、内実が分かった帝は劉曄を疎んじ、劉曄は発狂して死去した、とあるんじゃ。

『傅子』の著者の傅玄は、司馬一族の派閥で、劉曄の息子劉陶はライバルだった曹爽一族の派閥であった。派閥争いがここの記述に影響を及ぼしているであろうな。

『傅子』の他の記述を見ても劉陶を馬鹿にした発言をしている。しかし父の劉曄も事実を曲げてこのような悪口を書いているようでは『傅子』もたいした書ではないな。

そもそも、帝にそんな悪口を吹き込んだのは誰か(傅玄ではないのか?)、と言う話もあるし、劉曄が帝の意図を読み取って迎合できるのなら、逆にそんなウソに気が付かんほど、劉曄は目が曇っておらんじゃろうから質の悪い話じゃな。さて、これにて劉曄の紹介は終わりじゃな。続けて能力評価に行くぞい。もちろん全作品に出ておるぞい。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 劉曄(20歳)  105 20 150 90
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓↓ ↓↓
 劉曄(45歳)  139 46 189 123

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劉曄を語る上で外せんのが優れた観察眼と正確な献言の数々じゃな。それ故知謀は最高クラスの評価としたんじゃ。また若い頃は自ら刀を振るって鄭宝を斬り殺していることから、軍事の評価も高い、異色の参謀じゃな。

その一方、政治的なことは特に目立つ実績が見えないことから、政治は知謀に比べれば抑えめ、また軍を率いての戦果等も見えないことや自ら鄭宝の軍を劉勲に預けていることから、統率は一番抑えめの評価としたんじゃよ。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 劉曄  40 32 92 73 69

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 劉曄  1 9 12 11 10 6

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 劉曄  5 9 20 17 19

 

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雑談ぢゃ

さて、劉曄の能力評価じゃな。

ふむ、お主以外は武力、軍事の値は高くないのだな。  

若い日のエピソード等はあまり反映されていない、と言ったとこでしょうか。

そうじゃな。まあ参謀としては特に武力などは別に必要ない、求められていないから、と言うことじゃろうかのう。 

だが、お主の評価で言うと、遊撃隊向きとしては結構使える評価になるな。遊撃武将として使えるのはかなり大きいのではないか。 

確かに遊撃武将に必要な軍事と知謀、どちらもたかいから、陸康勢力の別働武将のエースとなれるじゃろうな。さて、劉曄の紹介はここまでじゃな。良ければ次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。