三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

王朗(おうろう) 字:景興(?~228)その4

さて、今回紹介するのは王朗の4回目じゃな。今回からは曹丕の時代以降の話じゃな。結構王朗の話も長くなったのう。

 

さて、今回は王朗の紹介4回目じゃな。

どうも、張郃だ。いよいよ曹丕殿の時代になる訳だな。王朗殿も活躍時機が長いからな。どうしても分量も多くなる。 

確かに張昭さんの友人だったことから同年齢ぐらいと考える(張昭は156年生まれ)と、228年に亡くなった時は70歳を超えていると言うことになりますね。

魏国にとっての長老格と言える人物じゃのう。

俺よりは少し年上だったのは確かだな。それにしても王朗殿は学があるだけに、意見も長いものが多い。 

うむ、文帝時代も長そうなので、なるべく省略できそうなとこは端折っていくぞい。

よろしくお願いします。

人物紹介

次代曹丕との絡み

さて、時代はまだ曹操が健在ではあった頃じゃが、『魏書』によると王朗が大理であった頃、疫病が大流行したことがあったんじゃ。曹丕は深く心から悲しみ、かねてから尊敬していた王朗に手紙を送ったんじゃ。

「生きている時は七尺の肉体を持ちますが、死ねばただ一棺の土となるだけです。

徳を打ち立て名声を揚げることこそが、不朽たりうべきもので、ついで書物を表すのが一番です。

疫病が度々流行し、士人は死に絶えました。私だけが特別の人間として寿命を全うできましょうや。」

こうして論著にふけり、著したのが『典論』なんじゃよ。詩賦も百余編に上ったと言うんじゃ。

『典論』と言うと曹丕が著述したものとして有名じゃが、実はそこに王朗が深くかかわっておった、と言うことじゃな。

王朗殿は最初にも書いているように学識が深く、様々な古典に通暁しておったことから、も多いに関わっていると言うことだな。

彼の学識の深さに対して、陳琳は呉の張紘宛に手紙を送り「私などはこちらにいらっしゃる王朗殿、そしてそちらにいるあなたと張昭殿に、私は到底及ばない。」と語っておるぐらいなんじゃよ。

陳琳殿は袁紹殿の時代から知っているが結構自信家なんだがな、それがここまで言うのはなかなかない話であるな。 

また『王朗集』によると、張登の功績をあげ、その精勤ぶりを上奏しておるんじゃよ。張登は既に紹介しておるので、興味があったらそちらを見てもらうと良いぞい。

 

文帝(曹丕)時代

文帝時代の王朗じゃが、まず曹丕曹操の後を継いで魏王となるんじゃ。まだ皇帝ではない訳じゃな。

この時王朗は御史大夫に昇進し、安陵亭侯に封じられたんじゃよ。

御史大夫は副丞相であり。立場としては三公の一つ司空と同じなんじゃよ。ちなみに司徒が丞相と同じと考えてもらったらええぞい。

この時に王朗は曹丕に対し、民をはぐくみ刑を減らすことを勧めるよう上奏しておるんじゃ。

その中では「裁判が事件の真実を掴めば、無実に死ぬ囚人はなくなり、これにより壮年の男子が土地の生産力を十分に発揮し得ることができ、結婚が時機通り行われれrば、10年の後には成年に達した若者が街にあふれ、20年後には必勝の兵士が野に満ちましょう。」と持論を展開するんじゃよ。

民を思いやり、無実の罪を減らすように進言をする辺り、如何にも王朗殿らしい意見と言えるな。 

この後曹丕後漢から禅譲を受け、皇帝となると改めて司空に任じられるんじゃよ。ここでも狩猟に関する意見や、節約削減に関する上奏などを行っておるんじゃよ。

また曹操時代に一度精勤ぶりを上奏した張登について改めて上奏を行い、称賛するんじゃよ。

これを受けて曹丕詔勅を下し

「張登の忠義は顕著であり、職務においては功労がある。官名・官位はいやしいとは言え、誠実さはよろしく顕彰すべきである。宮中の食膳は親近の任務であり、この役人に当たらせるのが適当である。今、張登を以て大官令(食膳長)とする。」

王朗殿は他の人の目が届かない細かい部分を補ってくれる、まさに副丞相にふさわしい人物と言えるのではなかろうかのう

肉刑に対する議論

さて、魏国では何度か死刑と微罪の刑との間に大きな隔たりがあり、本来ならならなくて良い死罪になっている人物が多い、と言うことで肉刑の復活について何度か議論しているんじゃよ。

『異林』によると、肉刑の復活を鍾繇が具申し、これにより死刑になる人間の内、年間で三千人を救うことができる、と言ったんじゃが、王朗は以下のように反対意見を述べるんじゃよ。

「臣の愚見では完全には賛成しかねる気持ちがございます。

そもそも五つの刑罰の種類は法律に書き記されており、別に死刑を一級軽減する法があり、死刑にならなければそれが減刑であるのです。

~中略~

今再び肉刑を施行するとなると、恐らく軽減した趣旨が万民の目にはっきりしない内に、肉刑の噂が仇敵(呉・蜀)の耳に宣伝されましょう。遠方の民を味方につけるに良いやり方ではありません。

今、鍾繇が軽減したいと望んでいる死罪を調査し、死を軽減して髠(かみそり)の刑にするのが良いでしょう。その軽すぎることが問題ならば、労役の年数を倍にすればよいでしょう。

国内に対しては生を以て死に代えた、と言う計り知れない恩恵を施すことになり、また他国が付け込む隙もなくなりましょう。」

議論に参加した人達は王朗の意見に賛同する者が多く、また呉・蜀もまだ平定されていないと言うことから肉刑の復活は沙汰止みとなったんじゃよ。

まあ肉刑ではなく別の刑を作ってやればよいだけであるからな。それに上でも書いているが、真実をきちんと見極めることができれば問題ないからな。 

結局は王朗や鍾繇のような優れた裁判官がきちんと運用できれば、何の問題もないと言う訳じゃな。細かい部分が多いかもしれんが

さて、次あたりで王朗編は終わりかのう、。さて今回はここまでじゃな、次もまたよろしく頼むぞい。

 

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