三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

虞翻(ぐほん) 字:仲翔(164~233)その1

さて、今回紹介するのは虞翻じゃな。字は仲翔と言うことから次男じゃろうな。会稽郡の余姚の人じゃから現地の人間じゃな。結構癖の強い人物である虞翻について見ていくとしようかのう。

 

さて、今回は虞翻の紹介じゃな。なかなか癖の強い人物じゃな。

どうも、張郃だ。ほう、今回紹介するのは虞翻か、確か俺と同い年ぐらいだったはずだな。 

そう言えば張郃さん黄巾の時が成人になったぐらいと考えると、丁度同じぐらいの年齢ですね。

そう考えると虞翻も息の長い人物じゃな。ちなみに自分は虞翻を「ぐほん」と呼んでいるが、人によっては「ぐはん」と呼んでいる。まあこの辺り日本語の読みじゃからどちらが正解、と言うのはないんじゃろうな。

まあ中華の方でも漢音と呉音では発音が違ってくる。確か日本語の中にもそれぞれ入ってきてるであろう。 

そう言えばそうですね。「翻」の場合、「ホン」が呉音で「ハン」が漢音、でしたっけ?

確かそんな感じじゃったのう。さて、それでは虞翻について見ていくぞい。

人物紹介

若き日のエピソード

虞翻が会稽の人であることは既に書いた通りじゃが、『呉書』によると、若い時から学問を好み、己を高く持していたそうなんじゃ。

年12の時に彼の兄を訪ねた人がおったんじゃが、虞翻のところには挨拶に来なかったと言うんじゃ。

そもそも12歳と言えば当時でもまだ子供だ。子供相手にわざわざ挨拶に行かないといけないのか、と言う話だがな。 

兄を訪れた人物も、まさか兄の近くに大器がいたなどとは思いも寄らんかったじゃろう。

彼に対して虞翻は後で手紙を送って言ったんじゃ。

「私は琥珀は腐った塵芥は引き付けず、磁石は曲がった針を受け付けないと聞いております。こちらにおいでになりながらお訪ねをいただけなかったのも不思議ではございません。」

相手のことを腐った塵芥と評しているのじゃから、強烈な皮肉と言うべきじゃろうか。巻末の訳者注釈によると、琥珀が塵芥を引き付けるのは当時の俗信で、静電気によって生じる現象であろう、とのことじゃな。

虞翻孔融同様に、若い頃から毒っ気たっぷりの人物だったようじゃ。

しかし、この皮肉たっぷりの手紙を受け取った人物は、むしろその内容の非凡さに驚き、称賛したようなんじゃ。そしてそれにより彼の評判は高くなった、と言うんじゃから面白いもんじゃな。

会稽郡の功曹として

さて、そんな虞翻じゃが、彼は王朗の下で功曹となり、務めておった、とあるんじゃよ。

功曹は人事を中心にして庶務を扱う役職だな。

そしてこの頃、孫策の揚州侵攻が開始される。彼が会稽郡に迫ってきた時、虞翻は丁度父の喪に服していたんじゃが、そのいでたちで郡の役所の門までやってくるんじゃ。

じゃが当時の慣習として服喪中は役所の門をくぐることはできない。そこで王朗は虞翻の家に自分の方から訪問すると伝えるんじゃ。

じゃが上司に家を訪れさせる、等と言う失礼なことをさせるわけにはいかない、と思ったのか、虞翻はその場で喪服を脱ぎ捨てて役所に入るんじゃよ。

さて、その虞翻は王朗に面会すると以下のように進言するんじゃ。

孫策の鋒先は鋭く、そのまま戦ってはこちらが不利となります。ここはその鋭鋒を避けていったん非難するのが得策です。」

じゃが王朗はその意見は聞かずに、そのまま孫策と対峙するんじゃよ。

しばらくは持ちこたえておった王朗じゃが、ついに別ルートからの進軍により、敗れてしまうんじゃよ。

戦場から離脱した王朗は船で海上に出たりもしたようじゃな。そして虞翻はその後を追って合流するんじゃ。その後の顛末は王朗のところにも書いているぞい。

さて、虞翻は王朗を守護しつつ、東部侯官の地までやってきたんじゃが、この地の長官は城門を閉じて王朗を受け入れようとしなかったんじゃ。

じゃが虞翻が長官のもとに赴いて説得したことで、やっと城内に入ることを許されたんじゃよ。

そしてそこで王朗は虞翻に言うんじゃ。

「あなたには歳を取った母親がおられる。帰られるべきだ。」

結構良い組み合わせだったと思うんじゃが、この王朗の言により虞翻は王朗の下を離れ、二人はこの後直接的に会うことはなくなるんじゃよ。

さて、王朗編までと言うキリの良いところまで進んだことでいったん終わりとしようかの。次からは孫策孫権時代の動きを見ていくとしようかのう。

 

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