さて、今回は虞翻の紹介、4回目じゃな。そろそろ終わりが見えてきたかのう。それでは早速見ていくとしよう。
さて、今回は虞翻の4回目じゃな。多分今回で最後じゃよ。
どうも、張郃だ。まああまり長くてもいけないからな。
大分孫権とぶつかっているところが見えてきましたね。
そうじゃな、それではさっそく虞翻の後半生を見ていくとしようかのう。
よろしくお願いします。
人物紹介
呉王への当てつけ
さて、孫権が呉王に任じられた時のことじゃ。これは魏が曹操から曹丕へ代替わりした頃の話じゃな。
宴会好きの孫権は当然ウキウキになって祝宴を開くんじゃが、その宴会も終わりに近づいた頃、孫権自身が酒を注いで回ったんじゃ。
この時虞翻は酔っぱらったふりをして、盃を受け取らんかったんじゃよ。
仕方ないと孫権が彼の前を去ると、虞翻はむっくりと起きてきちんと坐るんじゃ。
孫権はこれを見て激怒、剣を手に取って斬りつけようとしたんじゃ。
于禁殿に対してあれだけ、孫権に対して無礼なことをするな、と怒っている割に自身の方が底意地の悪いことをしておる。孫権にも問題はあるのだろうが虞翻ももう少し考えて行動すべきだな。
幸い、劉基(劉繇の息子)が孫権を諫めたことで何とか場は収まったんじゃよ。
またこのことがあってから、孫権は側近たちに対し、今後酒が入った上で自身が殺す、と言っても決して殺してはならない、と命じたんじゃよ。
何というか・・・ちょっとおちゃめな話じゃのう。
張昭へも噛みつく
虞翻はある時船に乗って出かける途中で、蜀から降伏してきた麋芳の一行と出会ったんじゃ。麋芳の船には多くの人が乗っており、虞翻の方に水路を開けさせようとしたんじゃが、この時に虞翻は大声で言ったんじゃ。
「忠と信が守れないのに、何によって主君に仕えると言うのか。預かった城を二つも失いながら、将軍などと名乗って良いものであろうか。」
麋芳は船の戸を閉ざして返答をせず、虞翻の船を避けさせた、とあるんじゃ。麋芳は
他にも同じように虞翻にやり込められたことがあるんじゃよ。
虞翻は日とのことは気にかけず、自身が正しいと思うところを押し通す性格で、しばしば酒の上での失敗があったんじゃよ。
さて酒の席での話じゃが、孫権が張昭と議論をしていて、話題が神仙のことに及んだ時、虞翻は張昭を指さして「もう棺桶に足を突っ込み死んだも同然の人間(張昭のこと)が、神仙のことを語っている。(何と滑稽な)世の中に仙人などいるものか。」と言ったんじゃ。
遂に孫権の我慢は限界を超え、虞翻を交州へ強制移住させたんじゃよ。
じゃが、こうなっても虞翻は学問教育に倦むことなく励み、門下生は数百人を超えた、とあるんじゃ。
また『老子』『論語』『国語』に注釈を加え、広く世に伝わった、と言うんじゃ。
『虞翻別伝』によると虞翻は『易』を特に重視し、荀爽や馬融(鄭玄の師)の易の解釈には理解できない(間違った)部分があり、鄭玄の解釈にも問題がある、と上奏しておるんじゃよ。
また鄭玄の『尚書』の解釈で誤りのある項目を列挙して挙げ、上奏する程、虞翻もまた時代を代表する人物でもあったんじゃよ。
虞翻は他にも山陰の丁覧や大夫の徐陵は人に認められん境遇にあったが、虞翻は彼等に一度会っただけで、すぐさま友人としての交わりを結び、やがて彼らの名が人々の間に知られるように守り立ててやったんじゃよ。
『呉書』によると虞翻は配流の地でも孫権のことを気にかけ、孫権が遼東の公孫氏と手を結ぼうとしている時に(向こうが服属したいと考えても、こちらに益は何もなく、こちらから人や財宝を送って馬を手に入れようとしても、国家の利益に違い、また結局馬も手に入れられぬじゃろう。)と考えたんじゃよ。
じゃが流された身としては上奏もままならず、呂岱にそれを見せたものの、呂岱も上奏文をどうするか決する前に、別の人物の讒言により配流先を移されてしまったんじゃよ。
いささか、気の毒だが少々敵を作りすぎてしまった、と言うことだな。
じゃが『江表伝』によると、孫権は遼東に士卒や武将を派遣したが、途中の海上で暴風に会い多くが溺死してしまったんじゃ。
孫権は後悔し令して言ったんじゃよ。
「昔、趙簡子はお前たちがご無理ごもっともと言っているのより、周舎の厳しい言葉による直諌の方がずっとましだ、と申したが、虞翻があけっぴろげで一本気であり、何憚ることなく意見してくれるのは、我が国にとっての周舎であるのだ。
もしあの時虞翻がここにいてくれたらこんな遠征は実行に移されることがなかったのに。」
孫権は急ぎ交州へ人をやり、虞翻の消息を確認したのだが既に虞翻は身罷った後だったんじゃよ。代わりに妻子たちは南方から戻ることができ、息子たちは仕官できるようになったんじゃよ。
死去した時は70歳であった、と言うことから、あの当時であれば大往生であろうな。
そうじゃな、惜しむらくは酒乱による愚行があったのと、誇り高すぎるが故に他者とぶつかってしまう面があった点じゃろうな。
さて、虞翻の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。もちろん彼は全作品に登場じゃな。
能力評価
虞翻は王朗、孫策、そして呂蒙や孫権の下でも優れた未来予知の力を使って、方策を示し、また優れた弁舌により華歆を降伏に導くなど、非常に優れた知謀の持ち主と言えるじゃろうから、知謀を一番高く評価したんじゃよ。
じゃがその一方強情で君主にも逆らい、酒の席で失敗をして配流の身にしてしまったことなどから政治的には少しマイナス評価となってしまったんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、虞翻の能力評価じゃな。
ふむ、作品によって大分評価が違うな、三国志14は比較的お主の評価に近いが、政治が高すぎるな。
天舞三国志では低くないですが、もう少しとがった感じでも良かったかもしれませんね。
演義じゃとそこまでエキセントリックな人物像とまではイカンかったから、少し抑え目になったのかもしれんのう。
王朗殿と見比べると、丁度知謀の部分を補完できるが、これなら武勇に優れた武将を副官に付けて、遊撃部隊を指揮させると面白いかもしれないな。
そうじゃな、史書を見るとその学識の深さや易学に長じている点から、呉を代表する智者だと思うんじゃよ。惜しむらくは身の処し方にもう少し気を付けることができておったらのう・・・。
さて、虞翻の紹介はここまでじゃな。また長かったが如何じゃったろうか。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。