三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

諸葛玄(しょかつげん) 字:不明(?~197)

さて、今回紹介する人物は諸葛玄じゃな。字は不明、生年も不明じゃが、没年はある記録によると197年となっておるんじゃよ。名字から察することができるように、とある有名な人物と深いかかわりがあるようじゃな。

 

さて、今回は諸葛玄の紹介じゃな。

どうも、張郃だ。もったいぶった言い方をしているから誰かと思えば、諸葛亮の叔父ではないか 

あ、孔明の叔父さんなんですね。

うむ、まあ実は予章太守については色々と迷ったんじゃがのう。

どう言うことでしょうか?

うむ、正確な年代順で言うと周術と言う人物が元々予章太守だったんじゃが、彼が亡くなった後、諸葛玄が袁術の指令で予章太守になったんじゃ。

じゃがそれを善しとしない朝廷が朱皓を送り込み予章太守としたんじゃ。その後揚州刺史の劉繇の力を借りて、朱皓が諸葛玄を追い出したんじゃ。

つまり本来なら191年頃はまだ周術か、もしくは諸葛玄が太守であった可能性が高い、と言うことだな。華歆殿は朱皓の更にその後の太守だから、まだこの時期はいなかった、と 

なるほど、相変わらず師匠のこの勢力配置はいい加減なんですねえ。

いや、じゃがな、諸葛玄をもし一群雄としてしまうと。諸葛亮はその後継候補となってしまう。わしは諸葛亮はやはり劉備(に限らんが)の臣下として節を全うした立場が好きなんじゃ。

これは関羽張飛も同じで、彼等が優秀でも、劉備を亡き者にして彼らを群雄にしようとはあまり思わないのと似た感覚じゃな。と言うことで君主候補にならないよう、ここでは華歆に出張ってもらった、と言うことじゃ。

まあ、いろいろ言っているが、爺が単に191年頃のちゃんとした勢力を把握していなかっただけであろう。分かり易い奴だ 

ち、張郃殿、それ以上は何卒ご内密に・・・そ、それでは諸葛玄について見ていくとしようかのう。

人物紹介

偽りの予章太守?

さて、諸葛玄についてはあまり多くのことは書かれておらんのじゃが、『諸葛亮伝』書紐解いて見ていくとしようかの。

これによると、諸葛亮は幼い頃に父を亡くし、従父の諸葛玄の下に身を寄せるんじゃ。

ちなみにこの頃曹操殿の徐州虐殺があったため、諸葛亮はそれを避けるため避難した、と言う人もいるが、曹操殿が徐州で戦っていたのは193年~194年。

この頃諸葛亮は14~15歳で、いくら何でもこれを幼年とは言わない。彼が避難した要因となった騒乱は別だろうな。

そしてこの頃、諸葛玄は袁術の命により予章太守となるんじゃ。

じゃが、袁術の命と言うことは当然正式の太守とは言い難い。漢朝の方では改めて朱皓を選出して諸葛玄と代わらせた、とあるんじゃ。そしてここで争いが起きるんじゃよ。

袁術が任命した太守(諸葛玄)と漢朝が任命した太守の争いだな? 

さよう、さらに朱皓のところでも書いたが、『献帝春秋』によると朱皓は同じく漢朝から任命された揚州刺史の劉繇の兵を借りて諸葛玄を攻撃した、とあるんじゃ。

確か『献帝春秋』は諸葛玄は劉表が派遣した太守としているのだったか。だが、劉表も漢朝の指定した荊州牧であることから、劉繇や朱皓とそこで勢力争いをすると言うのは疑問を感じるな。

うむ、そう考えると袁術が諸葛玄を任命し、漢朝側の劉繇・朱皓がこれに攻撃を加えた、と言うことじゃろうな。

さて、これにより諸葛玄は知己であった劉表の下へ身を寄せた、とあるんじゃがそんなにすんなりいくじゃろうか。

劉表袁術荊州北部を争った仇敵の間柄で、丁度この前後では孫堅と戦ったりする等、劉表からしたら目の上のたん瘤のような存在じゃ。

そんなところに仕えておった人間を、知己だから、でホイホイ受け入れられるじゃろうか。

そこで史料を見ていくと、『献帝春秋』に、朱皓の攻撃を受けた諸葛玄は撤退して西城に駐屯した、とあるんじゃ。この西城の正確な位置は残念ながら不明なんじゃよ。

ただ197年に西城の民衆が反乱して諸葛玄を殺害し、首を劉繇に届けた、とあるんじゃな。反乱の原因は不明じゃな。

献帝春秋』は裴松之もでたらめが多い、と非難しているんじゃが、この辺りは一考の余地があるのではなかろうか。

つまり、知己であった劉表の下へ行こうとしたが受け入れられず、西城に駐屯していたら民衆に殺害された、と言うことか、諸葛亮達は巻き込まれていないのか。

もしかしたら女子供だけは、劉表も受け入れておったのかもしれんのう。ともあれ、諸葛亮が成人する直前に諸葛玄は亡くなった、と言うことじゃろうな。

さて、諸葛玄の人物紹介はこれで終わりじゃ。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシ以外じゃと天舞さんに出ておるのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 諸葛玄(20歳)  55 70 35 60
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 諸葛玄(45歳)  84 101 62 90

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諸葛玄はこれまた実績が少ないことから能力評価は難しいんじゃが、太守に任命されたこと、諸葛亮諸葛瑾を参考として、統率や政治をある程度高い評価としたんじゃ。

じゃが西城で反乱を受けたりしたことから政治と違って知謀は少し抑え目、としたんじゃ。知謀が低く政治が高いのはイメージとしてはちと融通の利かない官僚のような感じじゃろうか。

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 諸葛玄  1 2 1 5 4 6

 

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雑談ぢゃ

さて、諸葛玄の能力評価じゃな。

お主は諸葛亮の叔父だから、と言うことで毛校高めに評価しているな。 

天舞さんは全体的に低いですね、政治・外交はそれなりですが。

まあ、諸葛亮の叔父で太守も務めた人物じゃから、もう少し高くても、とは思うがのう。 

それにしても、政治の方が統率より低いのだな。 

そこは西城反乱の要因がもしかしたら諸葛玄の統治にも問題があったからかもしれない、と言う面を考慮してじゃな。ちと酷な話じゃが。さて、今回はここまでじゃが諸葛玄の紹介、如何じゃったかな。良ければ次もまたご覧くだされ

よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。