三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫堅(そんけん) 字:文台(156~192)その2

さて、今回は孫堅の紹介、2回目じゃな。さて、今回は孫堅の勇猛さ、統率力、知略等、孫堅の有能さを表すエピソードを中心に紹介しようかのう。

 

さて、今回は孫堅の紹介2回目じゃな。ちょっと今回はいつもと違うやり方になるかもしれんがよろしく頼むぞい。

どうも、張郃だ。ふむ・・・いつもと違うか?  

い、いえ、エピソードはいつも紹介していることですし、別段違うようにも思えないのですが。

そうなると、上に書いてある勇猛さ、統率力などの言葉がその意味を示していると言うことか。 

そうじゃな、一から十まで全てエピソードを紹介すると長いし、それは専門のサイトにでも任せたらエエと思うんじゃ。それよりもワシの所は能力評価が中心なのじゃから、もう少しそこが分かるようにしようと思うんじゃよ

なるほど、そう言うことですか。とは言え師匠結構アバウトですから、その内また変わりそうですね。

そこはまあ、やって見んと分からんからのう。よし、それでは孫堅について見ていくとしようかのう

人物紹介

孫堅の勇猛さ 

孫堅の勇猛さは前回の時にすでに語っておるが、他で行くと長沙にて区星らを破った時のことじゃな。

この時丁度陸康の従子が揚州予章郡の宜春県の長をしていたんじゃが、賊徒たちの攻撃を受け、孫堅の下へ救援を求める使者を送ってきたんじゃよ。

じゃがこれは本来やってはならんことなんじゃな。と言うのも孫堅はあくまでも長沙郡の太守であり、本来は郡の境界を越えて他郡に軍隊を進めると言うのは越権行為に当たる訳じゃ。じゃな。

下手をすれば越権行為により、処罰を受ける恐れもある訳だな。 

当然郡の主簿もそれを考慮して孫堅にやめるよう進言したんじゃ。じゃが孫堅

「太守(私)は何の文徳もなく、ただ征伐により功績を立ててきたのだ。郡界を越えて討伐を行い、よその土地の危機を救ってやり、そのことで(境界を越えて軍を動かしたという)罪を得たとしても、天下の人々に何の恥じるところがあろう。」

そう言うと孫堅は軍の装備を整え救援に赴いたんじゃ。

孫堅襲来を聞くと賊徒は逃亡した、と言うんじゃよ。

さすがにその勇名は他所の郡にも響いておった、と言うことだな。 

また董卓孫堅の勇猛さを畏れて将軍の李傕等を使者に立て、和睦を結びたいと申し入れ、子弟で刺史や太守に任じたい人物を並べて書き出せば任官させてやろう、とまで言ってきたんじゃ。

じゃが当然孫堅はそれに首を縦に振ることもなかった、当たり前じゃな。

冷静で豪胆な指揮官

さて、その少し前、時代は反董卓連合軍が結成された頃、『孫堅伝』を紐解くと、魯陽にて兵士達の訓練を行い、いよいよ洛陽の董卓討伐に向かおうとした時のことじゃな。

この時長史の公仇称を兵士を連れて荊州に派遣し、軍糧調達の任に当たらせようとしたんじゃ。

この時に城の東門の外に幔幕を張って公仇称の送別の宴が開かれ、孫堅をはじめとした役人が皆列席しておったんじゃ。

じゃが丁度この時董卓孫堅を迎え撃たせるために軍を派遣してきたんじゃ。

その規模は歩兵と騎兵合わせて数万、その内の先遣部隊がこの送別の場に乗り込んできたんじゃよ。

宴中だから迎え撃つのもままならん、と言うことだな。さて両者どう動くか。 

孫堅はこの時、酒宴の席で談笑していたんじゃが、部下の兵士達には隊伍を整えて動かないように、と厳命したんじゃ。

董卓軍は徐々に増えてくるんじゃが、孫堅は配下の兵達に命令が行き届き、兵達が備えを解かない状態であるのを確認してから、酒宴を終えて城に入ったんじゃよ。その後で側近の者達に言ったんじゃ。

「さっき私がすぐに立ち上がらなかったのは、そんなことをすれば兵士達が浮足立ち、互いを踏みつけ合って混乱し、君たちも無事に城内に戻れないだろうと心配したからだ。」

董卓の兵士達は、孫堅の軍勢が少しも乱れないのを見て、城に攻撃をかけることもせず、そのまま兵をひきかえしたんじゃ。

さすがの胆力だな。そして兵達が動揺しないよう考えて冷静に行動している。 

見事な情報収集力

時代はまだ董卓が洛陽に乗り込むより前、黄巾の乱の後の頃の話じゃ。辺章と韓遂が反乱を起こしていた時、董卓と周慎がこの征伐に当たった時、この周慎の下に孫堅がいたんじゃよ。

孫堅は周慎に次のように言ったんじゃよ。

「自分は一万の兵を率いて金城に行きますので、周慎殿が二万の兵を率いて後詰めとなって欲しい。城中は穀物の蓄えをしていなかったから、きっと外部から運び込んでいるに違いない。

しかし周慎殿の大軍に恐れをなし、軽々しくこちらには攻撃をかけないであろう。そうすればこちらは敵の糧道を断つので、元々蓄えのない城を落とすのはたやすいはず。」

じゃが、周慎はこの意見を聞き入れんかったようじゃな。

そして実は董卓もこの時同じような進言を総大将の張温に進言しておったんじゃ。後詰めとして兵士を周慎の下に派遣してやって欲しい、とのう。

孫堅にしてみれば、董卓と同じ意見と言われても全く嬉しくはないであろうがな。とは言え、相手の弱きを突くのは兵法の常道、どちらも良く分かっているな。 

考えてみれば、先の董卓軍が襲撃してきた時の行動も冷静な判断力あってのことじゃな。

さて、このように孫堅は勇猛であり、冷静な判断力を持ち、軍を統率する優れた力量があった、と言うことが分かるじゃろうか。

さて、とりあえず今回はここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。

 

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