さて、今回は孫堅の紹介、3回目じゃな。孫堅に関してちょっと意外なエピソードと能力評価などについて見ていくとしようかのう。
さて、今回は孫堅の紹介3回目じゃな。孫堅は短い人生であったために語ることがそこまで多くなかったようじゃな。
どうも、張郃だ。意外なエピソードと言うのはあまり孫堅のためにならない話と言うことか。
孫堅は演義でもあまり悪く書かれていないですから、ちょっと意外ですね。
そうじゃな、それでは見ていくとしようかのう。
人物紹介
荊州刺史との軋轢
さて、ここの一人の人物が登場するんじゃ。名を王叡と言うんじゃが、『呉歴』によると、王叡は元々孫堅と共に零陵・桂陽の反乱者を共に討伐したのじゃが、孫堅が武官であったことから、孫堅を軽んじたこと言葉を吐くことがあったんじゃ。
じゃがこの時王叡は元々の武陵太守であった曹寅とも仲が悪かったんじゃよ。そして董卓討伐に先んじて曹寅を殺そうとしたんじゃ。
これを畏れた曹寅は時の光禄大夫温毅の檄文を偽作して孫堅に送り付け、王叡の罪状を述べ立て、彼を捕まえて処刑し、その後から報告の文書を奉るようにと命じたんじゃ。
これを受けて孫堅は軍を動かして王叡を殺害するんじゃ。
この時の孫堅は少し軽率だったかもしれないな。ただ光禄大夫の檄文を受けた上での行動と考えると、逆に漢朝への高い勤王精神の表れであったのかもしれんな。
龍は龍で変わりなく、何を以て頭や腹、尾としたかだけの話で能力とかから決めた訳ではない、と言うことじゃな。
南陽太守を処刑
また南陽太守であった張咨に孫堅は食料供給を求めるんじゃ。孫堅は牛酒を持って張咨を表敬訪問し、次の日は張咨も答礼のために孫堅の下を訪れるんじゃ。酒の席もたけなわとなった頃に長沙郡の主簿が入ってきて孫堅に言上したんじゃ。
「さきに南陽郡に通知の文書を送っておきましたのに、道路は修理されておらず、軍の資糧も準備されておりません。南陽郡の主簿を捕えて理由を問いただしたいと思います。」
張咨は不安になり退出しようとしたが、四方に兵が配置されてて外に出ることができんかったんじゃ。そうしている内にまた主簿が入ってきて言上するんじゃ。
「南陽太守は義勇軍を引き留め、賊徒の討伐を引き留めようとしております。どうか捕えて引き出し、軍法に照らして処分されますように。」
すぐさま孫堅は軍門に引きずり出して斬ったんじゃよ。
この辺りの容赦のなさは、親子だけあって少し孫策と似ているな。武官と文官の間の根の深い問題とも言えるな。
孫堅の最後
さて、孫堅の最後は知っている人も多いと思うがあっけないもんじゃ。
192年に袁術は孫堅に命じて、荊州へ軍を進め、劉表に攻撃をかけさせた。劉表は黄祖を派遣して、樊城・鄧城の辺りで孫堅を迎え撃たせたんじゃ。じゃがこれは孫堅によって打ち破られるんじゃ。
孫堅は敗軍を追って漢水を渡ると勢いに乗って襄陽の包囲にまで及んだんじゃ。
じゃがその最中、峴山を単騎通行中に黄祖の軍勢の放つ矢に当たって亡くなってしまったんじゃ。
異説もいくつかあるんじゃが、ここで亡くなったのは非常に惜しい人物じゃな。
さて、孫堅の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。もちろん彼は全作品に登場じゃな。
能力評価
孫堅は先に示したように軍事・統率・知略共に優れた才能を示していたことから、いずれも高い評価を与えておるんじゃ。董卓も孫堅の武略は非常に高く評価しており、関東諸侯の中で唯一警戒する相手として孫堅の名をあげているほどじゃ。
また、政治面においても県の統治をいくつか行い、いずれでも評価は高かった、と言うことから政治力も決して低くはなかった、と思うんじゃがあくまでも武人として、と言う範疇じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、孫堅の能力評価じゃな。
孫堅はさすがに、どの作品でも非常に評価が高いな。
軍事はどの作品でも高いですが、三国志14は政治も非常に高いですね。
まあコーエーテクモさんの三国志シリーズは政治的な活躍があまりなくても、知謀が高い人物は政治能力も高い傾向を示すことが多いからのう。
他の武将にも確かにそう言った傾向は、見て取れるのは確かだな。天舞三国志は、お主の評価にも結構近い感じだな。
うむ、まあワシのは天舞さんの評価を、参考にさせてもらっておる部分もおおいからのう。さて、孫堅の紹介はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。