さて、今回は桓勝の紹介じゃな。字や生没年は不明。姓から分かるように桓階の親族、と言うか父親じゃな。じゃが実は191年頃はもう亡くなる寸前か、亡くなった直後ぐらいかの人物じゃな。
さて、今回は桓勝の人物紹介じゃな。
どうも、張郃だ。桓階殿の父親か、確か結構な高名な人物だったはずだな。
とは言え、現代の私達での知名度はほとんどありませんね。
それは仕方あるまい。有能でも後世に名の残らない人物は幾らでもいる。こればかりはどうしようもない。
まあ、桓階殿の父親で、名前だけでも残っておる訳じゃから、ひとかどの人物であるのは確かじゃろう。記録はさほど残っておらんかもしれんが、見ていくとしようかのう。
人物紹介
さてまずは桓氏について見ていこうとしようかのう。
桓氏の本籍じゃが、『桓階伝』を見ていくと、荊州長沙郡臨湘県と書いてあるようじゃの。『魏書』によると、桓階の祖父は桓超と言い、父が桓勝と言う訳じゃな。
桓超、桓勝ともに有能で、州郡の長官を歴任した、とあるんじゃ。
更に桓勝は中央の尚書まで務めておったようで、南方では名高い人物であったようじゃな。
中央で尚書と言うことは地方太守などを経てのことだろうから、確かに有能であったのだろう。
じゃが恐らく191年頃、桓勝は病に倒れ、亡くなっているんじゃよ。と言うのも『桓階伝』を見ると、桓階の父が亡くなって喪に服している間に孫堅は亡くなってるんじゃが、孫堅が亡くなったのは192年の1月から4月の間ぐらいではないか、と言われておるんじゃ。
喪に服するのは3年と言われておるが、実際に丸々三年喪に服する訳ではなく、基本は三年目に突入した時点で喪が明ける、と言うことも多かったようじゃ。
そう考えると桓勝は190年の5月以降、191年末までの間に亡くなっている可能性が高い、と言うことじゃろうな。
そうなると本当に亡くなっていたかどうかギリギリの所であるな。まあそもそも父親は別に孫堅に仕えていた訳ではなかろうに。
う、うむ、つい勢いで入れてしまったんじゃ。こう言う少しマイナーな人物も入れて、色んな人に知ってもらう、と言うのもワシの欲によるものじゃな。
さて、そんなところで人物評価は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシのみの評価じゃな。
能力評価
桓勝は地方で長官を務めた後、中央で尚書となっておる、尚書は文書の発給を司り、行政に深くかかわっておったことから、政治を高めとしたんじゃよ。
桓階の評価から、知謀もそれに次ぐ高さとしておいたんじゃ。じゃが軍事面に関しては特に何も記載がないことから、文治面よりは抑えめの評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、桓勝の能力評価じゃな。
政治が高めなのは役職から見ている格好な訳だな。
確かにいまあでも名声が高い以外の実績が見えてこなかった人達に似た評価に見えますね。
まあ能力評価では別に奇をてらう必要はないからのう。
大体お主の評価基準も分かってきているから、この辺りは特に言うことは何もないな。実績が少ないことが残念だ。
そうじゃな、まあそれでもこれぐらいの政治力があれば、誰かの副官で当地のサポートに任せるもよし、自身が後方の安全地帯の開発に回るもよし、と便利な人物なのは確かなんじゃ。と言ったところで桓勝の紹介はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。