三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

韓当(かんとう) 字:義公(?~226)

さて、今回は韓当の紹介じゃな。字は義公、生年は不明じゃが没年は226年、孫堅に仕えていた有力武将の中では一番最後まで生き残った人物だったのではなかろうか。

 

さて、今回は韓当の紹介じゃな。

どうも、張郃だ。演義では孫堅四天王と呼ばれておったな。知名度は高いがある意味不遇な人物だな。 

気になる物言いですね。

うむ、彼自身もじゃが彼の周りにも色々あったからのう。それでは見ていくとしよう

人物紹介

さて、韓当の出身地を見ていくと、元々は幽州遼西郡令支の人なんじゃな。北方の人物だった訳じゃな。

彼は北方の人物らしく、弓術と馬術に巧みであり、体力もあると言うことで孫堅に目をかけられ、その征伐に従って各地を転戦したんじゃ。しばしば危険を冒して敵を破り、その功績によって別部司馬に任じられたと言うんじゃ。

じゃが『呉書』によると、韓当は務め励んで功績を立てておったが、軍内では下働きの任にあり、英傑たちの配下に分属されていたため、爵位を加えられることがなかったんじゃよ。

確かに韓当は他の孫権配下の武将と比べても昇進は決して早くはない、と言う印象はあるな

その後、孫策の代になるとその配下として会稽・呉・丹陽の討伐に参加し、先登校尉に昇進し兵士二千、騎馬五十騎を授けられた、とあるんじゃ。

更に劉勲の討伐に参加し、黄祖の軍を破り、軍を返して鄱陽を討伐したんじゃ。

その後楽安県の長の職務に当たったんじゃが、山越達は彼の意を畏れて従順だったんじゃよ。後に中郎将の官位になり、周瑜らと共に赤壁曹操の進軍を食い止め、更に呂蒙と共に南郡に攻撃をかけてこれを奪取したんじゃよ。

じゃがこの功績で昇進しても、まだ韓当は偏将軍であった、とのことなんじゃな。

永昌太守にも任じられたんじゃが、永昌郡は益州雲南地方にあり、これは遙任(名目だけの太守)であろうのう。

夷陵の戦いでは陸遜朱然たちと共に蜀軍を徹底的に撃ち破り、威烈将軍に任じられ、都亭侯に封じられたんじゃよ。

ここでようやっと将軍位と爵位を得たのか。ずいぶん時間がかかったのだな。

また魏がこの後曹仁を総大将として大規模侵攻を仕掛けてきた時のことじゃ。曹真が南郡に侵入してきたんじゃが、韓当は城の東南部分の守りを固めて守り切ったんじゃ。

彼は地方に出て軍の指揮に当たると武将や士卒を励まして心を一つにして守りを固め、中央から派遣された目付け役の意見に謹んで従い、法令を遵守した、とあるんじゃよ。

後に石城侯に封じられ、昭武将軍に昇進し、冠軍太守の職務に当たり、後には更に都督の称号を加えられたんじゃよ。

敢死軍と解煩軍(いずれも特殊部隊)の兵士を率いて、丹陽郡の反乱者たちを討伐し、これを撃ち破った、とあるんじゃな。じゃがこの後病により韓当は病死してしまうんじゃよ。

やっとここまで上り詰めたところでの病死とは、無念であったろうな

それにしても韓当が特殊部隊を率いておった、と言うことは彼が表立って昇進しなかった理由の一つとも言えるかもしれんのう。

さて、そんなところで韓当の人物評価は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼は全作品に登場じゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 韓当(20歳)  135 60 30 65
 ↓ ↓ ↓  ↓↓↓
 韓当(45歳)  172 90 57 95

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韓当は各地で軍功を上げ、その武勇と特殊部隊を率いておったことから、特に軍事能力を高く評価したんじゃよ。

じゃが率いる軍の特性上、どちらかと言えば防衛任務に適したタイプではないことから統率は軍事よりも抑えめの評価としたんじゃよ。

また知略に関しては特に何も記載はないことから更に抑えめの評価となる一方、政治は法遵守をきっちり行っていた、と言うことから、知謀よりはやや高めの評価としたんじゃよ。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 韓当  76 85 59 51 68

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 韓当  11 9 5 3 2 12

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 韓当  16 22 10 7 20

 

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雑談ぢゃ

さて、韓当の能力評価じゃな。

ほう、鄭問三国志だけ統率が高いのは興味深いな  

確かに演義でも韓当は別にそこまで統率力の高さを示すエピソードはなかったですよね。何で高いんでしょうか。

最終的には都督になっていることかのう。これは黄蓋達他の武将達との比較で何か見えるかもしれんのう。 

他の武将との兼ね合いで統率が高くなっているという可能性がある、と言うことか。 

そうじゃな、実際は少数精鋭のあまり表に出てこないような特殊任務を請け負う(それ故昇進もなかなかしない。)ことだったんじゃなかろうか。さて、韓当の紹介はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ

よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。