さて、今回は公仇称の紹介じゃな。字、生没年は不明じゃな。彼はすでに一度出ている人物じゃな。曹操や劉備陣営に負けず劣らずの陣営じゃが、まだ有名どころは韓当ぐらいじゃな。
さて、今回は公仇称の紹介じゃな。
確かに出てきていましたね。あまり名が通っていないと言うことは、記述も少ないと言うことでしょうか。
そうじゃな、あまり多くを語ることはないかもしれんが、見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、公仇称についてじゃが、でてくるのは『孫堅伝』のところじゃな。
反董卓連合軍が結成され、孫堅は調査から北上し、魯陽にて袁術と会見した後、兵士達の訓練を行い、いよいよ洛陽の董卓討伐に向かおうとした時のことじゃな。
この時長史の公仇称を兵士を連れて荊州に派遣し、軍糧調達の任に当たらせようとしたんじゃ。
長史は頭に就く名前で役割が変わってくる(例えば留府長史であれば、遠征する軍の後方を預かり守護する役目等)が、今回は兵馬や食料等の補給を担当する役目だな。
この時に城の東門の外に幔幕を張って公仇称の送別の宴が開かれ、孫堅をはじめとした役人が皆列席しておったんじゃ。
じゃが丁度この時董卓が孫堅を迎え撃たせるために軍を派遣してきたんじゃよ。
とまあそこから先は孫堅の豪胆さ、冷静沈着な様を示す話となるから、そこは孫堅伝の方を見てもらうと良いじゃろう。
そんな形で孫堅の補給を任された公仇称であるが、それ以降の記述は見られず、どうなったかは不明じゃな。
荊州自体が孫堅の者であったわけではないし、劉表も派遣されてくるから難しい立場になりそうだな。
そうじゃな、彼がどうなったのか気になるところじゃが、史書からはこれ以上彼の動向は読めんのじゃよ。
さて、そんなところで公仇称の人物評価は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回は天舞さんのみに登場じゃな。
能力評価
公仇称は目立つ武功はなく、軍事面は抑えめの評価なんじゃよ。軍馬や兵糧の調達を任されていたことから、政治面を評価されておったと言うことから政治は高めの評価じゃな。
また軍馬を司ると言うことからある程度の統率力も必要と考え、統率も高めじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、公仇称の能力評価じゃな。
ふむ、統率が高いのはお主と同じだな。だが政治面は大きな違いが見られるな。
軍糧調達の任をどう評価するかで分かれそうですね。
そうじゃな。ワシはある程度評価したが、天舞さんはあまり高く評価しなかったと言うことじゃろうか。
実際孫堅軍は軍糧調達がうまく行かずに、袁術からも疑われて苦労しているからな。sの辺りを考慮すると天舞三国志の方が合っているのかもしれんな。
そうかもしれんのう。とは言え評価できんかった、と言う証左も無いことから、わしはこのままの評価とするぞい。さて、公仇称の紹介はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。