さて、今回は黄蓋の紹介2回目じゃな。今回は黄蓋の最大の見せ場、赤壁の話じゃな。それから他のエピソード、そして能力評価と行こうかのう。
さて、今回は黄蓋の紹介、2回目じゃな。
どうも、張郃だ。魏にとっては一旦仕切り直しとなった忌々しい戦だからな。
張郃さんにとっては悔しい話ですよね。この時は現地にはいなかったんでしたか?
そうだな、この時は別の所に駐屯していたから、実は自分達も詳細は分からんかったのだよ。
赤壁の正確な場所もはっきりしない、と言うことじゃからなあ。さて、それでは見に行くとしようかのう。
人物紹介
赤壁の戦い
さて、前回の内容を見ると、黄蓋が一介の武辺者ではないことが伺えるじゃろうか。
そしていよいよ赤壁の戦いとなるんじゃ。
この時曹操軍の中には既に疫病がかかっていて、最初の交戦で曹操の軍は敗退し、兵を引いて長江の北側に軍営をおいたんじゃ。
南岸にいた周瑜達じゃが、ここで黄蓋が周瑜に進言をするんじゃよ。
「ただいま敵は多数で味方は少数であって、持久戦に入るのは不利でございます。ただ見てみますに、曹操の軍の船艦は互いに船首と船尾がくっつき合った状態でありますから、焼き討ちをかければ敗走させることができます。」
敵ながら見事な観察力と分析力だな。これは曹操殿も苦労する訳だ。
周瑜は蒙衝(駆逐艦)と闘艦(戦艦)を数十艘選び出し、それにたき木と草とを詰め込み、その中に油を注ぎ、幔幕で覆ってばれないようにしたんじゃ。
『江表伝』によると、更に黄蓋は曹操に手紙を送り、周瑜と魯粛が勝手にいきっているものの、南方の士は皆衆寡敵せずと考えており、そちらに寝返ることを願っている旨を曹操に伝えるんじゃ。
じゃがさすがに曹操も簡単には信用せず、わざわざ使者を引見すると、あれこれ細かく質問して、最終的には信用し勅を伝えて言ったんじゃ。
「お前たちが偽りを働くのではないかと言うことだけが心配なんだ。黄蓋がもし本当に言うとおりにしたならば、これまでに例がないほどの爵位と恩賞とを授けよう。」
曹操も最終的には信用したようなんじゃが、やはり黄蓋達の罠だったんじゃな。黄蓋は用意した船を切り離し、同時に火を放って曹操軍に突っ込ませたんじゃよ。
おりしも風勢が強く、全ての船に火が移って、岸辺にある軍営にまで延焼した。やがて人や馬の焼死したり溺死したりする者はおびただしい数に上り、曹操軍は敗退して引き返し、南郡に立てこもったんじゃよ。
この辺りはかなり表現を盛っているだろうな。いくらなんでもそれだけの大敗だったとしたら曹操殿は脱出にもっと苦労しているはずだからな。
ちなみに『呉書』によると、この時に黄蓋は流れ矢に当たり水に落ちてしまうんじゃ。呉軍の者に救い上げられたが、黄蓋とは気付かれず、便所に放置されたんじゃよ。
黄蓋が力を振り絞って韓当を呼ぶと、韓当は「公覆殿の声だ。」といい、彼を見つけるとその姿を見て涙を流し、衣服を取り換えたことで黄蓋は命拾いをしたんじゃ。
そしてこの功績により、武鋒中郎将の官を授けられたんじゃよ。
これだけ活躍してもまだ中郎将か、韓当もそうであったが、呉もトップの孫権の官位が低いから、配下の官位もなかなか上がらないのだな。
黄蓋の文武の評判
さて、黄蓋については九の県の知事を務めたんじゃが、彼の治めた県は平穏が保たれた、とあるんじゃ。また彼の風貌には威厳があった、と言うことじゃが、兵士達の生活に気を遣ってやったため、軍を動かして討伐を行うと、士卒はいつも皆先を争って戦った、とあるんじゃよ。
文武共に非常に高い評価だな。
武陵郡の異民族たちが反乱を起こし、城邑を攻め落としてそこに立てこもったんじゃ。
そこで黄蓋が武陵郡の太守の任をあてがわれたんじゃよ。郡の兵士はわずか五百人で、反乱軍と対抗するのは不可能だと黄蓋は判断すると、城門を開き反乱者たちの半分が城中に入ったところで攻撃を仕掛け、数百人の首を斬ったんじゃよ。
残りは逃げ散りすべて元の部落に戻ったことから、黄蓋は首謀者だけを誅殺し、他は罪を問わなかったので、反乱は全て平定され、武陵郡の領内は平穏になった、とあるんじゃ。
後に長沙の益陽県が山越の反乱者に攻撃されると、黄蓋が平定に当たり、この功績によって偏将軍を加官されたんじゃよ。
後に在官のまま病気になり、亡くなったようじゃな。
この時点でまだ偏将軍だから、魏と呉では官職で比較をしようとすると色んな落とし穴にはまってしまいそうだな。
確かに程普が督になっているが、他のほとんどの武将は将軍号をもらっておらん状況が多いからのう。逆に太守になっていること等からある程度立場を判断する方が良いかもしれんのう。さて、そんなところで黄蓋の人物評価は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はもちろん全作品に登場じゃな。
能力評価
黄蓋は自ら兵書を研究し、上奏文の書き方を学ぶなど一介の武官に留まらん活躍をしておるのが特徴じゃな。しかも曹操をも欺き奇襲を成功させたことから知謀を一番高く評価したんじゃよ。またその奇襲を成功させ、曹操軍を敗走させたことから軍事も高く、また各地の統治でも実績があることから政治も高い。
奇襲要因としては張郃殿にも匹敵する、ほぼパーフェクトな評価じゃが、唯一大軍を指揮するような立場ではなかったことなどから、統率のみやや抑えめの評価じゃな。とは言え奇襲部隊としては統率は重視されておらんから、むしろ使いやすいかもしれんのう。
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雑談ぢゃ
さて、黄蓋の能力評価じゃな。張郃殿、韓当の時のことを覚えておいでか。
ふむ、韓当の統率が非常に高かったやつだな。今回の黄蓋の評価、お主と鄭問三国志の評価は良く似ておって、統率が低いのだな。
知力が高めなのも同じ傾向ですね。他は軍事と統率が高めで、他はボチボチと言った感じですね。
そうじゃな。じゃが曹操を欺いて攻撃を成功させたのじゃから、もっと高くても良いと思うんじゃよな。
恐らくその辺りは周瑜の方に反映されてしまったのであろうな。史書を読めばなるほど周瑜は呉を代表する名士だが、実はそこまで知略を示す話と言うのはないのだ。
この辺りは張郃殿の実績が司馬懿にすり替えられたりしておったのと似ているのう。ともあれ、黄蓋の知略はもっともっと評価されて然るべき、と思うんじゃな。さて、黄蓋の紹介はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。