さて、今回は朱治の紹介3回目じゃな。今回は朱治が亡くなるまでの後半生、それから朱治の能力評価と行こうかのう。
さて、今回は朱治の紹介、3回目じゃな。
どうも、張郃だ。3回まで行くとは思わなかったな。
ちょっと区切りのタイミングが難しかった感じですね。それにしても、君主ではないですが君主のような立ち位置と言うのは珍しいですね。
そうじゃな、彼の評価がどうなるか、興味のあるところじゃのう。それでは彼の晩年を見てみるとしようかのう。
人物紹介
呉郡太守として
孫権はいつも朱治が国家のために尽くしていることを讃嘆しており、彼に特別の待遇を与え、直接に督軍(軍の目付)と御史(監察官)とに命令を下し、朱治の統治する呉郡の城々の文書は彼等に処理をさせ、朱治には4つの県の租税だけを取り扱わせておったんじゃよ。
余計な処理は督軍たちに任せる、と言うことは朱治に対しては本当に特別待遇だったのだな。
ちなみに呉郡には呉郡の四姓と呼ばれる有力豪族がおり、また孫一族もいたことから、彼らが多数出仕する形となり、郡の役人は数千人にものぼったと言うんじゃよ。
そんな状態じゃから、数年に一度、呉王の役所にご機嫌伺いの使者を出す時には、派遣されるものが数百人にもなった、と言うことなんじゃ。
公職の人間は多すぎても国家運営に支障をきたすものだがな。まあ朱治の場合は特別だった、と言うことか。
最後は地元で
この頃、地元の丹陽郡の奥地には悪事を働いたり、命令に従わない者達が少なからずおり、また朱治自身も年を取って故郷の風土が懐かしくなったことから、上表し自ら願い出て、故鄣に軍を置いて山越の鎮撫に当たることを許されたんじゃ。
彼が戻ってくるとその地の古老や旧くからの友人たちがこぞって彼の下を訪れ、朱治はそうした人達を皆招き入れ、共に酒を飲んで歓を尽くしたんじゃよ。
郷里の人々はそれを名誉なことだとしたんじゃよ。一年余りで朱治は呉郡に戻り、224年に69歳で亡くなるんじゃ。
戦乱の世にあって大往生じゃから幸せな人生であった、と言うことであろうな。
そうじゃな、一番呉が隆盛を極めた前後で亡くなっており、後のお家騒動などとは無縁だったわけじゃからのう。若い頃に孫堅孫策を失い苦労もしたであろうが、報われた人生であったのではなかろうか。
さて、そんなところで朱治の人物評価は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はもちろん全作品に登場じゃな。
能力評価
朱治は孫堅とは別に軍を指揮する権限を得て、その重き故に孫権等も非常に尊重しておったことから、何よりも統率を一番高く評価したんじゃ。
また山越の討伐などで実績もあったことから軍事を、孝廉に推挙されたり孫賁等が魏に人質を差し出そうとしておることを説得して止めたこと等から知謀もそれなりの評価としたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、朱治の能力評価について如何かな、と言うか、今回は分かり易いのう。
いずれも統率が高く、軍事・武力が低めと言うのは共通だな。
三国志14は知力と政治が高いのが特徴ですね。
そうじゃなあ、呉は突出した能力を持った武将は多くないが、朱治のように平均値が高い感じの人物が多いように感じるのう。
この辺りは演義の影響であろうな、出番が少なく評価が難しいことから無難な値になっているのであろう。
史実の方でもそこまで目立つ武将ではないかもしれんが、孫堅に並ぶ統率の高さは呉郡の中でも貴重と言えるであろう。さて、朱治の紹介はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。