さて、今回紹介するのは祖茂じゃな。演義では孫堅配下の四天王として名前が出てくる人物じゃが、実はその実態はほとんど知られていないんじゃよ。字や生没年も不明なんじゃな。読み方もワシは「そも」と呼んでいるが「そぼう」とも読めるぞい。
さて、今回紹介するのは祖茂じゃな。
どうも、張郃だ。知名度の割に活躍の内容が見えてこない人物だな。
演義ではそれなりに出番があるのが面白いですね。正史ではそんなに記述がないのですね。
そうじゃな、彼について早速見ていくとしよう。
人物紹介
さて、時代は董卓に対する反董卓連合軍が各地で勃発した時のことじゃ。
長沙から北上して袁術と会見した後、孫堅は軍を移して梁の東部に軍を置いたが、董卓の大軍、恐らく徐栄の軍じゃろうが、彼の攻撃を受け敗北を喫するんじゃよ。
何とか孫堅は数十騎と囲みを破って脱出したんじゃが、この頃孫堅はいつも赤いフェルトの幘(頭巾の一種)を被っており、目立ったんじゃな。
そこでこの時は幘を脱いで側近の祖茂に被らせたんじゃよ。すると董卓の兵達は争って祖茂を追ったので、孫堅は間道伝いに逃げることができたんじゃ。
祖茂にとっては気の毒な話じゃが、君主が死んではどうしようもないからな。それにしても・・・孫堅も良く自らの身を死地に置くものだなあ。
さて、一方の祖茂じゃが、追い詰められた彼は馬を降り、その幘を墳墓の間に立つ焼けた柱に被せ、自身は草の中に身を伏せていたんじゃ。
董卓軍の騎兵達は遠くからそれを見て幾重にも取り囲んだんじゃが、近づいてみて初めて柱であると気付き、そこを立ち去り、祖茂は危地を脱したんじゃ。地味ながら見事な機転と言えるのではなかろうか。
ただの側近であればそのまま逃げ切れずに名を残すこともなかったであろう。生き延びたからこそ名を残せた好例だな。
そうじゃな、とは言え祖茂の記録はこれだけ、祖茂の人物評価は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はもちろん全作品に登場じゃな。
能力評価
祖茂は孫堅側近と言うことで有能な武官と言う判断から軍事、そして幘を被った時の見事な機転から知謀も高めとしたんじゃ。
その一方でそれ以外に大軍を率いたり将としての実績はなく、治世面でも特に記録が残っていないことから、統率と政治は抑えめの評価じゃな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、祖茂の能力評価について如何かのう。
お主と天舞三国志は極めて似た評価になっているな。采配が天舞の方がやや高いぐらいか。
三国志14は極端に低い能力がないですね。
三国志14は例えば武力が高ければ統率も、知力が高ければ政治もある程度の評価になることが多いからのう。
使い勝手は良いが、多少個性が消えているようにも感じるな。
その辺りはスキルなどで個性を出すスタイル、と言うことじゃろうな。さて、祖茂の紹介はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。