さて、今回は劉表の紹介3回目じゃな。今回は劉表が亡くなるまでと、それからあれば逸話等、それと劉表の能力評価と行こうかのう。
さて、今回は劉表の紹介3回目じゃな。
どうも、張郃だ。劉表はもう少し長くなるかと思ったが、案外早いのだな。
確かに私ももう少し多いかと思いました。
うむ、劉表が亡くなるのは208年で、官渡の200年からはさしたるエピソードはないからのう。さて、それでは早速見ていくとしようかのう。
人物紹介
劉備の来訪
さて、官渡決戦の頃、ある大物が劉表の下にやってくる、ご存じ劉備じゃな。じゃが、その前の話をちょっと見ていくとしようかのう。
官渡でどっちつかずの態度をしておったことから(実際は前回書いた通り何とも言えん状況であったが)、韓嵩・劉先・蒯越辺りがこれを諫めた、とあるんじゃよ。
劉表は色々逡巡し、韓嵩を許に派遣して曹操陣営を探らせたが、戻ってきた韓嵩が曹操の威光と恩徳について十分に説明し、その子を人質として送るように進言するんじゃ。
じゃがこれを劉表は韓嵩が裏切ったと受け取り、たいそう立腹して韓嵩を殺害し、韓嵩に随行していった人たちも取り調べて殺害しようとしたんじゃ。
劉表が韓嵩を送ったのは事実であろうが、こういうやり取りがあり、韓嵩を殺害しようとしたかはちょっと額面通りに受け取ることはできないな。
実際、どっちつかずの態度をとっていたのではなく、北に目を向ける余裕がなかった、と言うことじゃからのう。
とは言え、別の史料の『傅子』でも劉表と韓嵩は険悪になったようだから、何らかの確執はあったのであろうな。
さて、こうしている間に劉備が劉表の下に流れてくるんじゃが、劉表は劉備を手厚くもてなしたが、任用することはできんかった、とあるんじゃ。
『漢晋春秋』によると、曹操が遼東方面に遠征した際、劉備が許を襲撃することを進言したが、劉表が聞き入れず、後にそれを後悔した劉表が
「君の意見を採用しなかったために、この一大好機を逃してしまった。」
と言っているんじゃが、これもあまり額面通りには受け取らん方がええじゃろうな。
これは別に当たり前であろう。あくまでも傭兵として雇っているような立場なのであるから、必要以上の権限を与えるはずがない。
劉備の意見を採用せずに後から後悔する、と言うのは、劉備の正しさを際立たせるための創作のように思えるな。簡単に「後から後悔する」と書いているが、何をもって当初の考えを翻したのかが分からん以上、額面通りに受け取ることはできんであろう。
208年曹操が南下してくるに際して、その到着前に劉表は病死したんじゃよ。
各人の劉表評
さて、最後に何人かの劉表の人物評などを見てみるとしようかのう。
毛玠の劉表評
「袁紹・劉表は士大夫や庶民その数多く、強力であるとは申しながら、いずれも将来を見通す思慮を持たず、基礎を固めることもしておりません。」
王粲の劉表評
「劉表は荊楚を保って形勢を観望し、自らは西伯(周の文王)になれると思っていました。天下の俊英たる士人が多数荊州にやってきていましたが、劉表は彼らを任用できず、そのため国が危機に陥っても、助ける者がいませんでした。」
しかし、劉表は自身に対して反乱を起こした桓階を評価し、受け入れようとしている。この辺りは評価とあべこべではないか。
そうじゃな、更に劉表は学問を奨励し、その結果「荊州学」と言う後漢末を代表する学術一派が発生し、荊州に一つのサロンが形成されていくこととなったんじゃよ。
更に言うなら、例えば官渡の時は曹操陣営でも袁紹に勝てないと判断し、内通者が多数出ていた、と言うんじゃ。曹操陣営内部でもそう考える者が多かったのに、外部の人間がどうして安易に曹操絶対、と言えるのじゃろうか。韓嵩らの意見は結果論としてそう言うことにした、と取れなくもないんじゃよ。
袁紹もそうだったんじゃが、このように劉表も不当に評価を貶められている可能性がある。何故そうしたのか、と言えば、劉備を持ち上げるためにはそれはその方が三国志の著者の陳寿にとっては都合が良いから、と言うのが一番しっくりくるじゃろうな。
とは言え、これはあくまでもわしがそう感じただけの話じゃから、まあ適当に聞いてくれたら良いんじゃぞい。
さて、それでは劉表の人物評価は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はもちろん全作品に登場じゃな。
能力評価
さて、劉表じゃが特筆すべきは荊州を支配し、士大夫を受け入れ荊州学を発展させ、サロンを形成させるに至った点じゃろうな。これより政治能力を特に高く評価しておったんじゃよ。
また宗賊の頭領を集めて斬り殺す等、決して優柔不断と言えるような人物でもないんじゃよ。怜悧な判断で策を実行する辺り、知謀もそれなりに高い評価をしたんじゃ。軍事もそれなりに実績を残し、自身の生存中は支配地域を簡単には取られておらんことから、統率もそれなりの評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、劉表の能力評価じゃな。
お主と鄭問は統率がそれなりに高いが、他二つは低いな、天舞は知略も高くないな。
この辺りは洞ヶ峠を決め込む性格の方を採用している感じですね。
そうじゃな、じゃが実際は南方で張羨と戦い、どうやら劉璋とも睨み合い権勢を行い、もちろん孫堅や孫策とも直接ではないにせよ、やりあっているんじゃ。
四方に敵を抱えながら荊州を維持し続けたからな。政治のみならず知略も一定以上なければ務まらんよ。
そう言う意味では、劉表は正史三国志の被害者の一人、と言うことかもしれんのう。さて、劉表の紹介はここまでじゃが如何じゃったろうか。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。