さて、今回は紹介する人物は蒯越じゃな。劉表の知恵袋であり、楚漢戦争時代の蒯通の末裔でもある訳じゃな。彼は劉表のみならず、曹操からも非常に評価されておった人物なんじゃよ。
さて、今回は蒯越の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。蒯越殿は後に魏に仕えるようになった際、何度か見かけたことがあるが、見事な偉丈夫であったな。
劉表陣営を代表する名士と言うことですね。
うむ、劉表の荊州支配の功労者じゃからな。それでは早速蒯越について見ていくとしようかのう。
人物紹介
若き日の蒯越
さて、『傅子』を見てみると、蒯越は前漢時代の蒯通の末裔であり、人柄は公正そのもので、有り余る英知を持っており、たくましい身体つきの堂々たる風貌をしていたんじゃよ。
大将軍の何進がその名声を聞き知り、召して東曹掾に任じたんじゃよ。
この最に蒯越は宦官を誅滅するよう何進に進言したんじゃが、何進は躊躇して決断しなかったんじゃよ。
蒯越は何進が敗北するに違いないと悟り、自ら求めて汝陽の令に転出してその後、出身地の荊州へと戻っていったんじゃよ。
何進は良く人を用いるが、やや優柔不断で人の意見を聞き入れることができなかったのが欠点ではあるな。
劉表の知恵袋
さて、荊州に戻った蒯越じゃが同時期荊州刺史になった劉表に呼ばれ、相談を受けるんじゃ。『戦略』によると、この際劉表が次のように尋ねるんじゃ。
「宗賊の勢いが非常に盛んな上、民衆は付き従わず、袁術はこの混乱を利用している。災難が今にも降りかかってくるであろう。わしは軍勢を招集したいと思うが、集まらないかと心配だ。どうしたら良いだろうか。」
これに対して蒯越は応えて言うんじゃ。少々長いが全部載せておくぞい。
「平和な時代の政治は仁愛と道義を第一とし、混乱の時代の政治は時宜に適した策謀を第一とするものです。戦争は兵力の多さにかかっているのではなく、人物を配下に治めるかどうかにかかっているのです。
袁術は武勇を持ちながら決断力がなく、蘇代や貝羽は軍人だから問題とするに足りません。宗賊の指導者たちは貪欲で乱暴なものが多く、部下の頭痛の種になっています。
彼らの中には私が昔から面倒を見ていた者がおりますからこ奴らを利を以て誘えば必ず手下を引き連れてやってくるでしょう。
殿は道に外れた者を処刑し、他の者を労り使用なさいませ。そうすれば州全体の住民は生を楽しむ気持ちを抱き、殿の立派な恩徳を耳にして、必ず幼子を背負ってやってくるでしょう。
軍兵が集まり民衆が付き従ってから、南は江陵を占拠し、北は襄陽を守れば、荊州の八郡は檄を飛ばして平定することができるでしょう。たとえ袁術等がやってきたとしても、どうすることもできないでしょう。」
この意見を聞いた劉表は
「異度(蒯越)の計略は時宜に適した策を述べた臼犯(晋の人物)と同じである。」
と非常に喜び、これを実行したんじゃよ。
これにより、劉表は軍兵を吸収することに成功したんじゃが、ただ、江夏の賊の張虎と陳生だけは軍勢を擁して襄陽に依拠していたため、蒯越と龐季を部下を連れずたんd側の使者として送り込み、彼らを説得して降伏させたんじゃよ。
この辺りの蒯越は策を提示するだけではなく、自ら行動して相手を説得し降伏させるなど、劉表の荊州支配に多大な貢献をしておったんじゃよ。
曹操への臣従
さて、時代が少し下り、曹操が荊州へ侵攻してきた時、劉表の後を継いだ劉琮に対し、蒯越は敵し得ない、と言うことで降伏を勧めるんじゃ。
「荊州を手に入れたことは(別段)嬉しくなく、蒯異度(蒯越)を手に入れたのがうれしい。」
と言うほどだったんじゃよ。
それぐらい蒯越殿を評価していた、と言うことだな。もしかしたら何進の下にいた頃に知り合っていたかもしれないな。
さて、そんな蒯越じゃが214年に病気にかかり亡くなってしまうんじゃ。臨終に際して曹操に家族のことを頼むんじゃが、曹操は
「仮に死者が生き返ったとしても、その死者に気が引けないようにしないといけない。わしは推挙した人物は少ないが、遺族の面倒を見ることは多く実行している。もし霊魂が存在するなら、わしのこの言葉を聞いてくれるだろう。」
と遺族の面倒を見ることを約束するんじゃよ。
陳宮の家族の件もあるが、曹操殿はこの辺りの面倒をよく見ているな。
そうじゃな、しかし曹操に頼むあたり、曹操殿と蒯越の関係も単なる上下関係ではない、ちょっと特別なものを感じるのう。
さて、それでは蒯越の人物評価は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はもちろん全作品に登場じゃな。
能力評価
蒯越じゃが特筆すべきは荊州支配の具体的な方策を示し、また自ら交渉して賊を降伏させた点じゃろうな。これにより知謀と政治を特に高い評価としたんじゃよ。
軍事面は実績が見えてこないため、それなりの評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、蒯越の能力評価じゃが、如何かな。
お主以外は皆政治の方が知謀より高いようだな、これは興味深いな。
師匠の場合は劉表が、時宜に適った策を進言したと言う辺りと関係ありそうですね。
そうじゃな、劉表陣営には蒯良と言う人物もおるが、彼がどちらかと言うと長期的展望を示し、蒯越の方が時宜に即応した策を進言していることから、ワシは上記のような評価にしたんじゃ。
さて、それでは今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。