さて、今回は紹介する人物は綦毋闓じゃな。彼はマイナーではあるが劉表の荊州統治時代に重要な役割を担っておったんじゃよ。とは言え、字や生没年は不明なんじゃ。彼は一体どんな人物だったんじゃろうな。
さて、今回紹介するのは綦毋闓についてじゃな。
どうも、張郃だ。この辺りの人物はまさに知る人ぞ知る、と言う感じだな。
変わった名前ですが、どこまでが姓なんでしょうか。
綦毋が姓で闓が名じゃな。なかなか珍しい名前じゃが、他にも何人か綦毋と言う姓の人物はおるようじゃ。それでは見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、綦毋闓じゃが、彼も実は正史本伝には出てこない人物なんじゃな。
彼の出番は魏志『劉表伝』の裴松之注『英雄記』の所に書かれているんじゃ。
劉表が荊州南部を平定したことで、荊州の境界辺りはもう反徒もいなくなったので、劉表は学校を開設し、広く儒者を探し求め、綦毋闓・宋忠等に『五経章句』を編集させ、これを「後定」と称した、とあるんじゃ。
五経は『易・書・詩・礼・春秋』、五経章句はその注釈のことを言う。「後定」はそれ以前の注釈と比べて新たに定めた、つまり五経の新しい注釈を綦毋闓達がまとめた、と言うことだな。
鄭玄達とは派閥が違うようじゃが、荊州の学閥の一人、と言うことじゃろうな。さて、彼の情報はこれで終わりじゃ。続けて能力評価と行こうかのう。今回はワシのみの評価じゃな。
能力評価
綦毋闓じゃが、学者として名を馳せていることから、政治力をそれなりに高く評価しておるんじゃよ。
じゃが、虞翻が綦毋闓と同じく荊州で有名だった宋忠を鄭玄と比較すると及ばない、としていることから、綦毋闓も鄭玄よりは政治・知謀共に抑え目の評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、綦毋闓の能力評価じゃな。
この辺りはの物差しは虞翻の説いた鄭玄には宋忠は及ばない、と言う部分が基準になっているのだな。
鄭玄は知謀145、政治172ですから確かに及んでいないですね。宋忠と綦毋闓の比較はどうなんでしょう。
綦毋闓も名前は出ておるが、荊州の学者の代表人物としてはあくまでも宋忠と言う感じじゃからな。さて、そんなところで今回はここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。