三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

黄祖(こうそ) 字:不明(?~208)その1

さて、今回紹介する人物は黄祖じゃな。字・生年は不明じゃな。没年は208年とはっきりしておるんじゃよ。彼は様々な媒体でやられ役にされているが、果たしてそれだけの人物だったのか。気になるところじゃのう。

 

さて、GWに入り投稿が不定期になっており、すまんのう。今回紹介するのは黄祖じゃな。彼も演義のイメージとギャップのある感じじゃな。

どうも、張郃だ。演義だと黄祖はやられるだけの立場だから、それによる刷り込みが強いのだろう。  

実際はただのやられ役ではない、と言うことですか?

普通に考えて孫呉の侵攻を15年以上食い止めれるか?それも周瑜・程普や黄蓋呂蒙等の錚々たる面子も参加しているのだぞ。  

そう言われると・・・確かに並の武将を相手にしている訳ではないのですものね。

そうじゃな、それではまず黄祖の戦績と、具体的なエピソードを見ていくとしようかのう

 

人物紹介

軍事面の実績 

黄祖戦績

    孫堅    ×  (樊・鄧)

    孫堅    〇 (襄陽)

    孫策    ×  (沙羨)

    孫策    〇 (江夏)

    孫権    ×  (江夏)

    孫権    〇 (江夏)

    周瑜    ×  (柴桑)

    孫権    ×  (江夏)

    孫権    〇 (江夏)

    孫権    ×  (江夏)

 

    10戦 4勝6敗

 

およそ以上になるかのう。勝率は4割じゃから決して高いとは言えんのじゃが、それでも孫呉の武将たち相手にこれだけの期間抑え込んでいるのは並ではないと思うのじゃ。

幾らこの時代、城を守る方が有利とは言え、籠城となると無類の強さを誇る。言ってしまえば彼が孫呉を抑え続けていたことで、孫呉荊州侵攻は何年も後れを取ることになった訳じゃからのう。

 

主な軍事内容

精強な弩部隊?

さて、孫呉との戦いでじゃが、実は孫呉側には結構な犠牲者が出ておるんじゃよ。それも一般兵でなく、名前付きの武将が犠牲になっておるんじゃ。その犠牲者をちと紹介してみようかのう。

孫堅 孫呉の始祖、黄祖との戦いを優勢に進めておったが峴山にて死亡

・徐琨 孫策に従い、黄祖討伐時に流れ矢に当たり死亡

・淩操 孫権に従い、先鋒として前進中、流れ矢に当たり死亡

この内の徐琨は母親が孫堅の妹であり、同じ一族から孫権の夫人となる徐夫人も出ておるほど、孫一族と繋がりの強い人物だったんじゃ。その人物までもが矢に当たって死亡する、と言うのはただ事ではないと思うんじゃよ。

親子三代に渡ってそれなりに名のある人物がやられている訳だ。偶然と片付けるには、厳しい被害だな。

孫権との最後の戦い

さて、208年最後の戦いの時の話じゃが、この時黄祖の戦いぶりが詳しく載っているんじゃよ。

『董襲伝』によると、この時黄祖は二隻の蒙衝を横に並べて夏口を守ろうとしたんじゃよ。

しゅろの太いロープに石を結んで碇として船を固定し、船上には千人がいてそれぞれが弩を乱射して、矢が雨のように降ってくるので、呉軍は進むことができんかったようなんじゃよ。

あんがい赤壁の船を動かないように固定した、と言う逸話はこの辺りから着想を得ていたのかもしれんな。 

さて、このままではまた孫呉は撃退されて終わりなんじゃが、この時は状況が違い、董襲と淩統の二人が決死隊を率いてしゃにむに進んで蒙衝の所に潜り込み、董襲自らロープを斬って船が流れるようにしてしまったんじゃよ。

これにより黄祖の軍は隊列が乱れ、ついに黄祖は敗れてしまうこととなるんじゃな。

長年、孫呉の攻撃を阻み続けた黄祖じゃが、これによりついに命運が尽きた、と言うことじゃな。さて、とりあえず黄祖の戦績について、今回はここまでじゃな。

それとGW突入なので、しばらくは投稿もできんと思うんじゃ。次は来週末になると思うんじゃが許してくだされい。

 

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