さて、今回紹介するのは孟曜じゃな。字や生没年は不明。実は既に一回名前の出てきておる人物なんじゃが皆さんは覚えておるかのう。ワシ?はもちろん・・・スマヌ忘れておったわい。何とも申し訳ない話じゃな。
さて、今回は紹介するのは孟曜じゃな。
どうも、張郃だ。確かつい先日名前が出ていた気がするが、そうか忘れてしまったか。
うう、実を言うと私も記憶から抜け落ちています。すいませんん。
これに関しては何も言えんわい。つい最近の話だったんじゃがなあ。まあこう言うのを防ぐためのDBでもあるからのう。それでは見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、孟曜について、記述があるのは一ヶ所だけ、『杜夔伝』のところじゃな。
劉表は荊州の牧になると、献帝を迎える準備として天子のための宮廷用のオーケストラを編成するよう、杜夔と孟曜に命じた、とあるんじゃよ。
彼の出番はこの部分だけ、と言うことだな。
そうじゃ、じゃが他に彼に関する記録を見ていくと、ちと気になる部分を発見したんじゃよ。
『劉鎮南碑』で検索をすると出てくるんじゃが、かつて生前の劉表を称えるための碑文が作られておったようなんじゃよ。そこには献帝から「劉表は鎮南将軍に任じられ、鼓吹と大車を賜り云々」と言う記述があったんじゃよ。
鼓吹と言うのが丁度上で書いてあるオーケストラのことじゃな。つまりこの碑文には正式に劉表が鼓吹隊を編成することが認められていた、と言うことになるんじゃ。
だがこの碑文、実は偽りがあろう。
そうじゃな。まず余程のことがない限り鼓吹隊が認められることはない(曹操は確か魏公就任時に賜っている)し、賜っているなら杜夔が演奏を拒否するはずもあるまい。
他にもいろいろ当時の情勢と合致しない部分が多いので、誇張されたものであった、ということじゃろうな。さて、雑談が少し多くなってしまったが、孟曜の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はワシの評価のみじゃな。
能力評価
孟曜じゃが、記録が一ヶ所しかなく、また同じような事績の杜夔と比べると記録も少ないため、基本は杜夔と似たような評価でありながら、全体的に抑え目の能力としたんじゃよ。
杜夔と似た評価と言うことから、政治が一番高めの評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、孟曜の能力評価じゃな。
ふむ、基本の傾向は杜夔殿に準拠した、と言うことだな。
まあ確かに同じように勇猛な武将として扱われているのに、全然違うタイプの評価になることはありませんからね。
まあ杜夔の所に出てきた柴玉のように、音楽の才よりも上に取り入るのに長けた人物もいるんじゃから、全く同じようにはできんがのう。
まあ、そう言う人物はそう言うちょっと特別な才を持っていることが記載されるから、簡単に区別は付くであろう。
そういうことじゃな。碑文はせっかく貴重な資料であるのに、ちと大袈裟に書き過ぎているのが残念じゃのう。さて、孟曜についての紹介はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。