さて、今回紹介するのは劉先じゃな。字は始宗、生没年は不明じゃ。彼は特定の文献に彼の記述が詳しく載っているようなんじゃよ。ただ、信憑性については如何なんじゃろうか、気になるとこじゃのう。
さて、今回は劉先の紹介じゃな。
演義でも名前だけ出ていた人物ですかね。ただ印象にはあまり残っていないですね。
そうじゃな、演義では単位曹操に降伏するときぐらいにしか出番がなさそうじゃからのう。では見ていくとしようかのう。
人物紹介
劉表への提言
まず劉先の人となりじゃが、『零陵先賢伝』によると、劉先は博学で記憶力が強く、ことに老壮の学を好み、漢王朝の故実について習熟しておった、というんじゃよ。
劉表の別駕となるんじゃが、『劉表伝』を見ると、劉表が荊州をほぼ制圧した頃、治中従事の韓嵩と別駕の劉先が進言するんじゃよ。
「豪傑が互いに抗争し、両雄が対峙し合っております今、天下がどちらに傾くかは将軍の態度にかかっています。
将軍にはもし大事を成すお気持ちをお持ちならば、立ち上がって彼らの疲弊に付けこむべきです。もしそうでないならば、当然服属すべき相手を選択なさってください。
将軍は十万の軍勢を擁して、安閑として坐ったまま成り行きを観望なさっています。和睦を請うて来ているのにそれもなさらないなら、この二つの怨みは必ずや将軍に集中するでありましょう。将軍は中立であることは不可能です。
そもそも曹公は英知をもたれ、天下の優れた人物は全て帰順しております。
その形勢から申して袁紹を滅ぼすに違いありません。その後軍勢をあげて長江・漢江に向かってきたならば、恐らく将軍は防ぎとめることができないでしょう。
それ故将軍のために計画いたしますならば、荊州をあげて曹公に従うのが最良と存じます。曹公はきっと将軍を大事にし感謝するでしょう。将軍は永久に幸せを享受され、これを後の代にまで伝えることになりましょう。
これこその万全の対策と存じます。」
じゃがまだ張羨討伐などもあり、結局劉表はこれを聞き入れることができんかったようじゃな。
曹丞相に対する評価が高いな。当時は一般的には袁紹有利と言うのが一般的な世相であった。今ほど情報が不足している中、彼らがどこまで見通していたのか、この辺りは気になるところだ。
曹操への対応
さて、前回の提言の内容でそこまで曹操を高く評価しておった劉先じゃが、『零陵先賢伝』によると少しちぐはぐな印象を受けるんじゃよ。
ことは上奏文を持って許に赴き、曹操と会見した時のことじゃよ。この時賓客がずらりと並んでいる状況だったんじゃよ。そこで曹操が少しなじるように質問するんじゃ。
「劉表殿はどうして郊外で天を祀られたのか?」
劉表がこれをやったことで韓嵩殿が批判し、それで二人の関係が険悪になった件だな。本来天子しか許されていない行為だから曹丞相がなじるのは当然と言うものだ。
これに対して劉先は次のように応えるんじゃ。
「劉殿様は皇族の端に連なり、州牧の地位に就いておられます。しかしながらご政道はいまだ安定せず、凶悪な者どもに道路を遮断され、貢物の宝玉と絹織物を抱えながら、朝見する術もなく、上奏文を書き綴りながらお届けすることも敵わないでおります。
このために天を祀り地を祭ってまごころを披瀝なさったのであります。」
曹操が「凶悪な者どもとは誰のことか。」と尋ねると劉先は「目に映るもの全てがそうです。」と答えるんじゃよ。
ここは凶悪な者どもに阻まれ上奏文が届けられない、と曹丞相のことを非難しているように見えるが、劉先が許についている時点で矛盾している。『零陵先賢伝』も適当なことを書いているものだ。
更に曹操が次のように言うんじゃ。
「今、わしには勇猛な戦士、歩兵・騎兵十万がある。天子のお言葉をいただいて罪ある者を征伐したならば、服従しない者がどこにいようか。」
すると劉先も応酬するんじゃ。
「漢のご政道は次第に衰え、民衆は疲弊しきっております。今や天子を推しいただき、天下を安定させ、すべての国々を道徳によって服従させる忠義の士が存在しない上に、軍事力に頼り平然として残忍な行為を行って、それで自分に勝る者はないと称しております。
それこそ蚩尤、智伯の現代版と言えます。」
大放言も言いとこじゃが、これでも曹操は特にとがめず、劉先を武陵太守に任じた、と言うんじゃよ。
前の劉表への提言を考えると、この発言もちと信憑性に欠けるのではなかろうか。『零陵先賢伝』は劉巴の所でも記録がみられるが、劉巴や劉先等の零陵人を持ち上げるあまり、劉備や張飛、曹丞相を下げる記述が多い。
劉巴と張飛、と言うと劉巴を訪ねた張飛に対して一言も応えず、「兵隊野郎」と呼んだ件ですのう。確かにちょっと気になる史料じゃのう。
劉巴と劉先の関係
さて、劉巴と劉先じゃが、二人とも曹操が荊州を制圧した時に曹操に仕えるようになるんじゃが、二人は以前より関係があったようで、劉先はかつて甥の周不疑と言う人物を派遣して、劉巴の下で勉強させようとしたんじゃ。じゃがこの時は劉巴は非才の自身に神鳥の如き甥御をどうして教えることができようか、と断ったんじゃよ。
この周不疑は曹操もその才を認めておったらしく、曹操の息子の曹沖の相手になるだろうと見込まれ、逆に曹沖が亡くなると、曹丕ら他の人物では周不疑を使いこなせまい、と暗殺させた、と言う逸話があるぐらいじゃ。
もっともこの記述も『零陵先賢伝』に載っていたものなので、真偽のほどはどうか、と言ったとこじゃがのう。
ちと横道に逸れたが、曹操に降伏した後、劉先は尚書令になったとあることから、曹操は彼をかなり厚遇したことは確かじゃな。
と言ったところで、劉先の紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼は三国志14に登場じゃな。
能力評価
劉先は曹操の下で尚書令となり、荀彧や荀攸等と同じようなことをやっておったことから、政治を特に高く評価しておるんじゃよ。
また曹操の将来性を高く評価していることから、知謀も高めの評価じゃな。『零陵先賢伝』の記述はワシ的には蛇足な感じじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、劉先の能力評価じゃな。
まあ政治と知謀がそれなりの値なのはどちらも一緒だな。
そう言えば、劉先さんと曹操さんの会話、私何か見たような気がします。
演義では実は張松と曹操の会話がこれと同じような内容になっておるんじゃ。
なるほど、これで曹丞相との敵対関係を良く表すと言うことだな、しかし・・・。
あの記述が本当ならそれでも劉先を咎めず、後に登用する曹操の器のでかさを示すだけじゃからのう。さて、劉先についての紹介はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。