さて、今回紹介する人物は陳郃じゃな。字や生没年は不明。前回紹介した陳恭の所にも名前が出ておった人物じゃな。
さて、今回は陳郃の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。俺と同じ名と言うのがちょっと嫌な感じだな。
そう言えば張郃さんの「郃」の字が使われた人ってあまりいないですよね
そうじゃな、中華においてもなかなか珍しい名前なのかもしれんのう。
人物紹介
さて、陳郃の名前が出てくるのも当然魏志『李通伝』じゃな。
李通は朗陵において、同郷の陳恭と共に兵を挙げたんじゃ。丁度この頃、周直と言う者がいて、二千余家の人々を集めており、陳恭・李通とは表面上は仲良くしていたらしいんじゃが、内面はしっくりいってなかったようなんじゃ。
最終的に李通は周直を殺害し、その後陳恭を率いて、周直配下の幹部を全て殺害し、その軍営を配下に加えることに成功したんじゃよ。
この辺りは陳恭のところで書いてあるのと同じだな。
その後、陳郃の名前が出てくるんじゃ。陳郃は陳恭は義弟(妻の弟)で、二人の間には何らかの諍いがあり、最終的に陳恭は陳郃に殺害されてしまうんじゃ。そして陳郃は陳恭の軍勢を奪った、とあるんじゃな。
じゃが、このような事態を李通が見逃すはずもなく、李通は陳郃を攻めて大破し、陳郃の首を陳恭の墓に祭った、とあるんじゃ。
陳郃と陳恭の諍いの原因は分からんが、李通を敵に回したのはイカンかったのう。これにて陳郃の記録は終わりじゃ。それでは能力評価を見ていくとしようかの。今回もワシのみの評価じゃな。
能力評価
陳郃は陳恭と争い、彼を殺害した、と言うことから武勇はあったと考え、軍事能力は高めの評価としたんじゃ。
その一方、李通に攻められ敗死していることから、統率や他の能力は抑え目の評価としたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、陳郃の評価じゃな。
陳恭とは評価分野が逆になる訳だな。陳恭は統率が高めで、陳郃は軍事が高めだ。
軍事はそれなりに高いですが、それでも李通には全然及ばないんですね。
まあ、李通はこの辺りの勢力では別格じゃからな。
荊州で彼と渡り合える人物と言うと、孫呉の将軍連中や、劉表の所の文聘殿か黄忠と言ったところだな。
ようはこの時代を代表する武将達の一人、と言うことじゃな。陳郃も相手が悪かったのう。と言ったところで、陳郃の紹介はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。