さて、今回紹介するのは郭石じゃな。彼もまた周朝と共に語られている人物じゃな。字や生没年は不明なんじゃよ。
さて、今回は郭石の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。ふむ、周朝と一緒に出てくる人物だな。
と言うことは蘇馬とも一緒に出てきていると言うことですか。
いや、実はこの辺りはちょっと複雑な事情があるんじゃよ。それでは見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、郭石についてじゃが、先に挙げた周朝と蘇馬は呉志『朱治伝』の所に記載されているんじゃが、郭石の名前は『朱治伝』には出てこんのじゃよ。
それではやはり周朝とは無関係と言うことですか?
それは違うんじゃ。呉志『孫堅伝』を見ると、周朝と郭石が民衆を率いて反乱を起こした。と書いてあるんじゃよ。ここでは逆に蘇馬の名前が出てこんのじゃな。
周朝を通して、蘇馬、郭石も同時期に荊南地方で反乱を起こしていた、と言うことが分かると言うことだな。
朱治らの活躍により、一旦この地方の騒乱も収束し、落ち着きを取り戻す・・・とはいかんのじゃなあ。今後も何だかんだで騒乱の地となっておる。荊州は必争の地、とはよく言ったものじゃよ
さて、郭石の出番はここで終わりじゃ。それでは続けて能力評価と行こうかの。郭石も三国志14に出ている人物なんじゃよ。
能力評価
郭石は不服住民として、名前は出ておらんが、恐らく朱治に討伐されていると思うんじゃよ。彼も武事に優れていたから反乱を起こせたと思うことから、軍事能力を高めの評価としたんじゃよ。
じゃが、孫堅のところで反乱を起こしていた旨の記述しかないため、全体的には抑えめの評価としたんじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、郭石の能力評価じゃ。
ふむ、周朝と同じぐらいであるが、三国志14の方がやや周朝より知力と政治が高めか。
師匠の方は逆にちょっと低めですね。
まあこの辺り記録はない部分はどうしても評価がばらつくじゃろう。重要なのは文治よりは軍事が高いと言うことじゃからな。
どちらも軍事面高いのは皆共通だな。
そうじゃな、まあ、あまり語れることもないし、評価も難しい人物達じゃが、何とか終わったようじゃのう。と言ったところで今回はここまでじゃな。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。