三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

閻圃(えんほ) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは閻圃じゃな。字や生没年は不明じゃ。彼は既に何度か名前が出てきておると思うが、張魯陣営の重要な懐刀だった人物と言えるじゃろうな。

 

さて、今回は閻圃の紹介じゃな。

どうも、張郃だ。張魯陣営で一番の参謀と言える人物だな。 

そう言えば演義の時の閻圃は何か少し印象が違ったと思うんです。何だったのでしょう。

演義では確か張魯に王になるよう勧めてたような気がするから、それのせいではなかろうか。それでは閻圃について見ていくとしよう。

人物紹介

功曹としての助言

張魯伝』を見ると、まずは張魯後漢王朝から鎮民中郎将に任じられ、漢寧太守の官に付けられたころの話じゃ。

ある時住民で地中から玉印を手に入れて献上した者がおり、部下達は張魯に漢寧王の尊号を得ることを望んだんじゃ。じゃが閻圃がここに待ったをかけるんじゃ。

「漢川の住民は十万戸を越え、財力は豊かで土地は肥沃、四方は険固な地勢によって守られておりますゆえ、うまく行って天子をお助けできれば、春秋時代の覇者、斉の桓公や晋の文公のようになれましょうし、それがだめでも後漢の竇融となって、富貴の身分を失うことはないでしょう。

今独断で処置し得る権限を与えられて、刑罪を断行するのに十分な勢力を持たれており、別に王になるまでもございません。どうかしばらくは王と名乗られることなく、真っ先に災厄を受ける羽目に落ち込むことのないようになさってください。」

非常に冷静で合理的な判断だな。そしてその助言を受け入れる張魯殿もたいしたものだ。

曹操の漢中侵攻

続いて曹操が漢中に侵攻してきたことの話じゃ。張魯の弟の張衛が敗れたことで、張魯曹操に降伏しようと考えるんじゃが、これを閻圃は押し止めるのじゃ。

「今、追い詰められた状態で出向いて行ったならば、きっと評価は小さくなりましょう。杜濩(とこ)を頼るか、朴胡の下へ赴き、抵抗した後で臣礼をとられるならば、必ずや評価は大きくなりましょう。」

この助言に従うことで、張魯は後に1万戸もの破格の食邑を得ることとなるんじゃよ。

更に閻圃も一連の助言を非常に高く評価されたのか、列侯に取り立てられることとなったんじゃ。

これに対し、習鑿歯は次のように言うんじゃ。

賞罰と言うものは悪を懲らしめ、善を勧めるためのものである。ある事柄によって法度訓戒を明らかにすることが可能であれば、遠いことか近いことか隠れたことかを問わない。

閻圃は張魯を諫めて王号を名乗らせないようにしたが、曹操はその時まで遡って閻圃の功績を高く評価し、彼に爵位を与えた。

このことをはっきりさせず、戦火をくぐって戦った功績のみを重視し、戦った人々だけに高い爵位や恩賞を与えたならば、人々は乱世を利益と考え、俗人は殺戮を競い、武器を頼みとし力に頼り、戦争は何時まで経っても終わらないであろう。

曹操のこの封爵は、賞罰の根本原理を認識したものと言うべきである。

とこの時の曹操の処置を非常に高く評価しているんじゃよ。

これはまあなかなかそこまでの事績を調べて評価するのはなかなかできることではないからな。さすがは丞相だ。

馬超との意外な関係

さて、この閻圃のじゃが、馬超と意外な関係があるんじゃ。曹操が漢中を制圧する前、曹操に敗れた馬超張魯の下に流れてきておったんじゃが、後に馬超は自身の妻子を張魯の下に置いたまま、劉備の方へ行ってしまうんじゃな。

そして張魯曹操に降伏したら馬超の妻子はどうなるか、これはもう想像がつくとは思うじゃろう。

馬超の息子、馬秋は張魯に引き渡され、張魯は自らの手で馬秋を殺害するんじゃ。

そして妻の董氏は閻圃に与えられた、とのことなんじゃよ。じゃな。

これはまあ、可哀そうだが馬超反乱のとばっちりを二人とも被ってしまった、と言うことだな。

さて、その後の閻圃の活躍はさすがに見えてこんのじゃが、『魏略』によると黄初年間に閻圃の爵位と領地は加増され、朝議の席で礼遇される身分になった、と言うんじゃ。

そしてその後10年余り経った頃亡くなった、とあるようじゃな。

丁度張郃殿が亡くなるのと前後するぐらいに閻圃もなくなったようじゃな。さて、閻圃の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はもちろん全作品に登場じゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 閻圃(20歳)  45 30 125 100
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 閻圃(45歳)  73 57 161 134

 

閻圃の最大の長所は冷静で合理的な判断力じゃな。これによって張魯曹操の下でも好待遇を受けることとなった訳じゃ、まさに知恵袋と呼ぶにふさわしい人物じゃな。

軍事面は実績が少ないため、抑えめの評価じゃが、生き残る勢力にはどこもこのように的確な助言を与えられる人物がいるもんじゃな。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 閻圃  31 25 81 79 70

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 閻圃  1 3 8 9 6 9

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 閻圃  4 9 15 17 12

 

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雑談ぢゃ

さて、閻圃の能力評価じゃな。

ふむ、政治と知略で多少上下はあるが、いずれの作品も知謀と政治が高めなのは共通しているようだな  

実績が非常に分かり易いですからね。これは大体納得なんじゃないですか。

個人的にはその先見性の高さから、もう少し平均が高めでも良いんではないか、と思ってしまうがのう。 

まあ、皆が皆最高評価と言う訳にもいかないからな。特に閻圃は張魯時代以降は、そこまで目立つ事績はないからな  

とは言え、平穏な形で降伏に導いた手腕は見事な者じゃからな、少し惜しい感じもするんじゃよ。さて閻圃の紹介はここまでじゃが、如何じゃったろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは俺も帰ろう。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。