三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

馬相(ばしょう) 字:不明(?~188?)

さて、今回紹介するのは馬相じゃな。字は不明じゃ。生没年もはっきりせんのじゃが、恐らく188年頃なんじゃよ。つまりこの時期にはいなかった可能性の高い人物なんじゃな。

 

さて、今回紹介するのは馬相じゃな。

どうも、張郃だ。既に188年頃亡くなっているのに紹介すると言うことは、益州の状況を混乱させた状態にしておくのが目的なのか。 

師匠はちょくちょく時系列を無視していますもんね。

まあ益州混乱の大元となる人物じゃからな。今回特別に出てきてもらったんじゃよ。

人物紹介

さて、時代は劉焉が益州に入るほんのちょっと前の話じゃ。

この頃益州の刺史は郤倹じゃが、彼の課す租税がでたらめであったため、益州は混乱に陥ってしまっていたんじゃ。そして当時益州におった馬相等は、綿竹県で自ら黄巾を号し役務に疲れ切った民衆を集め、一、二日の間に数千人を手に入れた、とあるんじゃ。

ちなみに郤倹は蜀の名臣になる郤正の祖父に当たる人物だな。郤正は見事な文辞で名を馳せるが、祖父は刺史になっているものの、もう一つであったようじゃな。

それだけの人数を集めた馬相は手始めに綿竹県の県令李升を攻めて殺害し、官民を糾合した結果、一万余人に膨れ上がったんじゃよ。

続けて雒県を撃ち破り、遂には益州刺史の郤倹を攻め滅ぼし、蜀郡、犍為郡に到達したんじゃよ。

じゃがあまりにも順調に行き過ぎたことがいかんかったんじゃ。三つの郡を撃破したことで気が大きくなった馬相は調子に乗って天子を名乗ってしまったんじゃよ。

古来よりきちんとした手順を踏まずに勝手に天子を名乗った人物はほぼ例外なく悲惨な末路を辿るのが相場じゃ。

この時も同様で益州の従事であった賈龍は私兵数百人を持って、犍為郡の東境におったんじゃが、官民を配下に治め、千余人の手勢を獲得して、馬相らを攻撃するんじゃ、とは言っても、兵力は恐らく馬相の1割にも満たんほどでしかなかったであろう。じゃが,賈龍率いる軍勢に馬相は数日で敗れ去ってしまうじゃ。その後の馬相の記録は出てこんのじゃが、恐らく賈龍との戦いの最中に戦死したのではなかろうか。

さて、これにて馬相の紹介は終わりじゃな、続けて能力評価と行こうかの。今回もワシのみの評価じゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 馬相(20歳)  110 20 40 15
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 馬相(45歳)  145 46 68 35

 

馬相は当時の益州を席巻し、県令や太守、刺史を殺害して支配する等、勢いもそうじゃが、軍事的才能はそれなりにあったと思い、軍事は高評価としたんじゃ。

じゃが、賈龍にはあっさり打ち破られたと言う、黄巾賊の特徴を彼も色濃く受け継いでおったことから、統率の方は抑えめの評価に落ち着いたんじゃよ。

 

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雑談ぢゃ

さて、馬相の能力評価じゃな。

軍事と統率の格差の隔たりが黄巾賊らしい特徴を表しているな  

統率が低いのはちょっと怖いですが、軍事の高さは周辺地域の人達にしたらちょっとした脅威になりそうですね。

とは言え彼を撃ち破った賈龍も、当然この時期の武将として出てくるからのう。 

劉焉も出てくるであろうし、益州荊州同様、劉焉の一強と言う形にはならんようだな。  

まあ、従える人物の数を考慮すれば、劉焉優位はもちろん変わらんじゃろうが、自身の手で指揮するとなれば、他の勢力を選択していたとしても、充分勝算はあるじゃろうからのう。さて、馬相の紹介は以上じゃが、如何じゃったろうか、良ければ次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは俺も帰ろう。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。