さて、今回紹介するのは任岐じゃな。字や生没年は不明なんじゃ。彼も当然益州の人物であるのじゃが、劉焉とはどんな関係なのか、気になるとこじゃのう。
さて、今回紹介するのは任岐じゃな。
どうも、張郃だ。彼もまた益州騒乱に巻き込まれた悲運の人物と言えるな。
最近出ている人物は皆悲劇的な最期を迎えている人物ばかりですからね。
そうじゃな、任岐もその例に漏れずなかなか波乱の人生だったようじゃな。
人物紹介
さて、馬相の乱の頃にはまだ任岐の名前は出てこんのじゃよ。
じゃがその後、劉焉が益州牧となった頃、任岐は犍為郡の太守であったようなんじゃ。もしかすると、馬相が犍為郡を攻めた時は太守ではなかったのかもしれんのじゃが、それは次のエピソードのためかもしれんのう。
さて、劉焉が益州牧となった後、しばらくして劉焉はその野望をむき出しにして、張魯を漢中に派遣し、更に州内の豪族の王咸・李権等10人余りを殺害し、自己の権力を示すようになったんじゃよ。
じゃがこれに憤った犍為郡太守の任岐と賈龍は劉焉に背き攻撃するんじゃが、劉焉は自身の精兵、東州兵を派遣してこれを撃ち破ることに成功したんじゃよ。
『英雄記』によると、多少この部分の内容は違っているが、任岐等が劉焉と戦い敗れた辺りの流れは同じだな。
ちなみにこの義侠心の厚さから、もし馬相の乱の際、任岐が犍為郡の太守であれば、賈龍と協力して反撃しておったんじゃなかろうか。
さて、これにて任岐の紹介は終わりじゃな、続けて能力評価と行こうかの。今回もワシのみの評価じゃな。
能力評価
任岐は自ら軍を率いて劉焉を攻撃しようとしたり、恐らく太守としてもそれなりに優秀な人物であったと考えられ、軍事や政治は高めの評価としたんじゃ。
じゃが、結果として劉焉に敗れていることから、総合的には劉焉より抑えめの評価としたところじゃろうか。
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雑談ぢゃ
さて、任岐の能力評価じゃな。
バランスは良いがもう一押し欲しいと言ったところだな。
軍も率いたり太守としての職務も務めていたり、なんだかんだで優秀な人だったと思いますね。
そうじゃな、任岐も劉焉が権限強化の道に走らなければ、もっと違った道があったかもしれんが、残念な話じゃのう。
どこも豪族と君主権力とのせめぎ合いはあるから、仕方のない話ではあるな。
そうじゃな、さて任岐の紹介は以上じゃが、如何じゃったろうか。さて、今週じゃが、ちとブログをかけない状態になるので、ちょっとお休みさせていただくぞい。また次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは次もまたよろしく頼むぞ。少しお休みとなる訳だな。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。