さて、今回紹介するのは程畿と言う人物じゃな。字は季然、生年は不明じゃが没年は222年じゃな。彼は演義でもちょっとだけ出ているんじゃが、分かるかのう。
さて、今回は程畿の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。ほう、もう一人漏れていた人物がいたか
董扶より本来先に紹介しないといけなかった人物ですね、師匠gdgdですねえ。
す、すまんのう、ちと整理がついておらんかったんよ。さてそれでは程畿について見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、時代は劉璋の時代じゃが、龐羲と言う人物が劉璋配下におったんじゃ。
彼は対張魯戦線を任されておったんじゃが、天下騒乱の時と考えて、郡にも守備兵が必要と考え、盛んに私兵を招き入れておったんじゃ。
じゃがこれを、龐羲は反乱を企てるために兵をかき集めているのでは、と劉璋に讒訴する者があり、劉璋も龐羲を疑うようになるんじゃ。
龐羲はこれを非常に恐れ、守りを固めることを計画し、程畿の子の程郁を派遣して、兵士を要求し救援させるように命令を伝えさせたんじゃよ。
じゃが程畿はこれに答えて言うんじゃ。
「郡が私兵を集めたのは、本来反逆するためではないはずです。讒言を受けたと言っても、肝心なのは誠意を尽くすことであります。
もし、心配でならないからと言って異心を抱くならば、私のあずかり知らぬことでありますぞ。」
更に程郁にも戒めて言うんじゃ。
「わしは州の恩誼を受けており、州牧に対して忠節を尽くすのが当然である。
お前は郡吏なのだから太守のために尽くさねばならぬ。わしのために二心を抱いてはならぬぞ。」
この状況で、龐羲は人をやって脅しをかけて程畿を従わせようとしたんじゃ。
「汝の子は郡にいるのだ。太守に従わない場合は、一家に禍が及ぶであろう。」
龐羲は妙に小物のような扱いになっているのだな。そこまで小人物ではない、と思うのだがな。
さて、じゃがこれにも程畿はこたえるんじゃよ。
「戦国の始め、魏の将軍となった楽羊は中山を攻めたじゃが、中山の君は楽羊の子を処刑し、その肉で羹(スープ)を作り、楽羊に送りましたが、楽羊はこれを飲みました。
父子の情愛がなかったからではありません。大義がそうさせたのです。
今また我が子の肉を羹とされたとしても、私は必ずやこれを飲むでしょう。」
龐羲は程畿が絶対に自身の見方をすることはない、と悟り、遂に劉璋に深く陳謝し、事情を説明し、これにて劉璋の疑いも晴れることとなったんじゃよ。
更に劉璋は程畿の忠節を賞賛して、漢昌の県長から江陽太守に昇進させたんじゃよ。
劉璋は龐羲を疑ったりしてはいるが、程畿の件を聞くと昇進させたりしている、完全な無能、とは思えん人物だな。
後に劉備に従うようになるんじゃが、彼の人生は222年に途切れることになる。そう、夷陵の戦いじゃな。
この時の敗北で程畿にも脱出を勧める者がおったんjが、程畿はこれをきっぱり断ったんじゃ。
「わしは軍にあって、今まで一度も逃げたことなどない。まして天子に従っていながら、危険を構っていられるか。」
と言い、追手が追いつくと、程畿自ら戟を取って戦い、敵船の中には転覆する者もあったほどなんじゃ。じゃがさすがに敵の大軍勢が到着し、彼らが力を合わせて攻撃したため、遂に程畿も戦死させられてしまったんじゃよ。
さて、これにより程畿の紹介はおしまいじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼は鄭問さん以外に登場じゃな。
能力評価
程畿は節を守る強い意志と、龐羲に対しての正論から、政治を高い評価としたんじゃ。また軍人としては敵から逃げず、最後の夷陵の戦いでも自らの武勇で敵を一度は食い止めていることから軍事も高く設定したんじゃ。
じゃが、頑固さ故に最後は命を落とすことになったことから、知謀は抑えめとなったんじゃよ。まあ張任に近しい人物と言えるのではなかろうか。
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雑談ぢゃ
さて、程畿の能力評価じゃな。
これは興味深いな。お主は軍事を特に高く評価しており、他の二作品は文治面を評価している。
龐羲さんとのやり取りの件からか、天舞さんは外交が一番高くなっていますね。
ワシとしては最後の武勇を評価したいところじゃがな、天舞さんの評価も分からんでもない。
三国志14と天舞三国志の知力・策略に差があるが、どこを評価するかでお主と他二作品の違いになるのであろうな。
この辺りは評価基準が違うこともはっきり分かっているからのう。さて、程畿について如何じゃったろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も一旦帰るか。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。