さて、今回は孟光の紹介2回目じゃな。今回は孟光の人柄が良く分かるエピソードと能力値まで紹介したいのう。
さて、今回は孟光の紹介2回目じゃな。
どうも、張郃だ。気難しい性格の人物だからな。どんな話か興味あるな。
クセの強い性格ですと能力も偏りが出てくる傾向ありますので、そちらも気になりますね。
うむ、何とか能力紹介まで行きたいのう。それでは見ていくとしようかの。
人物紹介
費禕への責任追及
劉禅時代の話じゃ。この頃孟光は符節令・屯騎校尉・長楽小府となり、大司農に昇進したんじゃよ。
246年秋に大赦令が出された時、孟光は満座の中で当時の大将軍費禕を糾弾したんじゃ。
「そもそも恩赦と言うのは、片手落ちな政策ですから、治まった時代にはあってはならないものです。衰退し行き詰まり、どうしてもやむを得ない場合であって初めて臨時の処置として許されるのです。
現在、主上は仁愛深く賢明であられ、百官は職務にふさわしい働きをしております。
一体どのような差し迫った危難や緊急の事態があって、度々特別のご恩を施され、よこしまな悪人たちに恵みを与えられるのですか。
また、鷹やハヤブサが攻撃をはじめた時に、罪ある者を許すとなると、上は自然の時節を犯し、下は人間の道理に反することになりましょう。
私は老いさらばえ、政治の本質をわきまえておりませんが、内心この法を長く続けることは困難であると考えます。
民衆の仰ぎ見る立派な措置、有徳の人に対して期待する措置と言えましょうか。」
かなり痛烈に費禕を非難しているな。なるほど、これは敵を作り易い性格と言えそうだな。
事実、孟光が他人を指弾する時はいつもこのような感じだったらしいので、重臣たちからは気に入られず、爵位は昇進しなかったそうなんじゃ。
郤正への提言
もちろん孟光自身、己の欠点は自覚しておったようで、しばしば孟光の下に学問上の疑義について質問をするため訪れていた郤正にある時、劉禅の学んでいる書物や、性格と好みについて訊ねたことがあるんじゃ。郤正は次のように応えるんじゃ。
「親に仕えては慎み深く、朝から晩まで怠ることなく、古の世継ぎの風格を具えておいでです。お付きの群臣達に接する時のおふるまいは仁愛を基としておられます。」
じゃが孟光はそんな通り一辺倒な答えではなく、その才知がど程度か知りたいからなのだ、と言うんじゃ。
郤正はそれは主上の胸の内に秘めておくものですから、それらの予測をすることはできない、と答えたんじゃ。
郤正が慎重に答えているのに対して孟光は
「わしは直言を好んで、誰にも遠慮しなかった。常に欠点を糾弾しては世の人々から非難と憎しみを受けてきた。」
と自身のやり方の問題点を挙げておるんじゃ。郤正もその態度から、自身の発言をあまり好んでいないであろう、と言いながらも、
「皇帝が学ぶ学問は博識に務め、他人の質問を待って、丁度博士が机の上にある問題紙の中から選び取った出題に答え、それによって爵位を求めるような、そんなことで良いのだろうか。
(君主として)一番大切なこと(権謀や才智)に努力するされるべきなのだ。」
普通に自分自身の性格に問題がある、とサラリと言える辺りは大物であるなぁ。郤正もこの意見には賛同しておったようだな。
さて、後に孟光はある事件に引っかかって免官になり、90余歳でなくなったそうなんじゃよ
90まで生きれば大往生であろうな。さて、これにより孟光の紹介はおしまいじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼は鄭問さん以外の作品に登場じゃな。
能力評価
孟光は古の制度に詳しいことなどから、劉備の皇帝即位の際の即位の儀式を取り定める役目を仰せつかったことから政治を高めの評価としたんじゃ。
じゃが、直言で相手を糾弾して敵を作ってしまう等、宮中を生き抜く術は持ち合わせていなかったことから、政治以外は抑えめの評価としたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、孟光の能力評価じゃな。
政治が一番高いのは共通しているな。それと人を引き付ける魅力、お主だと統率の能力だな。
朝廷内で敵を作りまくっておったようじゃからな。致し方あるまい。
まあ、ある意味では学者らしい人物と言えるかもしれないな。
さて、孟光の紹介はここまでじゃが、如何じゃったろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も一旦帰るか。次もまたよろしく頼むぞ。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。