さて、今回は劉彦の紹介じゃな。字と生没年共に不明じゃな。彼は劉姓じゃが、皇族との姻戚関係は不明じゃな。それでは彼について見ていくとしようかのう。
さて、今回は劉彦の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。ふむ、劉彦のことも自身はあまり知らないな。
張郃さんも知らないぐらいですから、私はもう全然わからないですね。
揚州の劉氏と言うと一人思い浮かぶ人物がおるんじゃが、どうじゃろうかのう。
人物紹介
さて、劉彦なんじゃが、彼の出番は呉志『薛綜伝』に出てくるんじゃよ。
薛綜が孫権に送った書簡に張津や朱符のことが書いてあるんじゃが、朱符の所には次のように書いてあるんじゃよ。
「故の刺史であった朱符は虞褒や劉彦のような同郷の人物を多く取り立て、それぞれの土地の長官とならせ、人々を侵害し虐待し、民衆に厳しい税金を課して、黄魚一匹につき、米一石を取り立てました。
人々は怨みを抱いて反抗し、山中の不服住民たちが各所に出没して、州の役所を攻め郡の役所になだれ込みました。
朱符は逃亡して船で海に浮かびうろうろとさすらう内に死亡いたしました。」
なるほど、虞褒と共に朱符が取り立てた同郷の人物だった、と言うことだな。そうなると劉彦もまた揚州出身の人物と言うことだな。
そういうことじゃな。ここで気になる揚州出身の劉氏と言うと劉曄が思い浮かぶんじゃ。
そこで劉曄の出身郡を調べてみたんじゃが、彼は九江郡と言って揚州の一番北の徐州や豫州に近いところの出身のようなんじゃ。
劉彦が朱符や虞褒等と同じ会稽郡の出身とすると、大分距離が離れておるから、関係性はちと薄いかのう。
さて、あっさりしておるが劉彦の記録はこれでおしまいじゃ。それでは続けて能力評価と行こうかの。今回はワシのみの評価じゃな。
能力評価
虞褒を文官寄りの評価としたことから、劉彦は逆に武官寄りの評価として見たんじゃよ二人がセットになると互いの弱点を補ってくれる印象じゃな。
ただしどちらも実績は乏しいことから、全体的な評価はどうしても抑え気味となってしまうがのう。
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雑談ぢゃ
さて、劉彦の能力評価じゃな。
ふむ、虞褒と丁度対になるような能力値にした、と言うことか。
虞褒がもしかしたら虞翻の一族かもと言うことで、虞褒を文官寄りの能力に設定したから、このような評価になったのですね。
この辺りは分からんからこそある意味自由に評価できる、まあ評価したもん勝ちじゃな。
まあ、登場人物全員の評価ともなれば、このような強引な評価もやむを得ないか。
うむ、先人たちに敬意は払いつつ、そこはある程度自由にやらせてもらっておるぞい。さて、これにて劉彦の紹介も終わりじゃな。
よし、それでは俺も帰るぞ、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。